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デビュー45周年記念番組 さだまさし はじまりの場所から 吉田政美 岩崎宏美

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※地元長崎では2018.10.24 20時に放送された。ほかの地区では年末年始の早朝などに遅れ放送。うっかり逃すところだった。
自主制作盤のジャケットは眼鏡橋の前で。

精霊流し

吉田政美から

この曲が、僕たちの代名詞。グレープの名前をご記憶だろうか。僕はギターの吉田政美。21歳だった僕たちも、66歳になった。デビューから45年。まさしは歌い続けている。45周年おめでとう、まさし。いま僕はレコード会社で働いている。

出会ってから半世紀ですからいろんな意味において、常にこの辺に(さだまさしが)浮遊しているというか、常にどっかに引っかかるんですね。スパッとやめたのは、彼は表現したいからやってるんですよね。僕は表現者ではないです(グレープ時代の)CD、DVDだったり、いろんなものがありますよね。あれ結構ね、こそっと言いますと、凹んだりした時に、見返したり聞き返したりすると、一回フラットにできるかな。

Reborn

自分がこれまでやってきたことをお祝いするのとはちょっと違うかなと。お祝いするより、次の一歩をどうするか。生き直し。生まれ変わることはできませんけど、生き直すことはできると思って、タイトルにしました。せっかく周年とかいって特別なことするんだったら、里帰りから始めるかなと。困ったときはいつも里に帰って、逃げ帰って、そこから僕はやり直してきたんで。常に長崎というのは自分の原点。

ほおずき

H264-07 ほおずき (1976.4.5 長崎市民会館 グレープ解散ライブ収録) - YouTube

元テレビニュータウンディレクター 増川雅一さん
僕は一番最初に彼の詩を聞いたときに、この人の作るものには哲学があると思ったんですね。当時二十歳ですよ。本当にこういう曲を作ることができるんだろうか、実は疑問に思ったんですね。紹介してもらったのが宮崎康平さんだったもんですが、僕はてっきり宮崎さんが書いて、それを彼が持ってきたんじゃないかと(笑)

宮崎康平:古代史研究家、作家。「まぼろしの邪馬台国」1980年死去。
長崎放送には「つゆのあとさき」直筆歌詞、キューシートが保管されていた。3回目出演時から「なし崩し的にレギュラーになって」昭和48年3月17日に東京からディレクターが来て、その日の夜に「プロになりませんか」口説かれたんですね。テレビニュータウン最後の出演は吉田さんの誕生日。長崎を発って、10月1日が大阪の最初の仕事。増川さんに手紙を送っている

岩崎宏美/夢

ポリープになった時に

岩崎宏美 • さだまさし ...■1985-Apr-05... 夢 -1 / 精霊流し 【Music Fair】 - YouTube
私はとにかくさだまさしの歌で人生を学んでいるところがすごく多いので、。人への思いとか、感謝の想い。そういうのがやっぱり嫌味なくね、メロディに乗ったら普通に歌えるところ。声帯にポリープ作ってしまって。宏美みたいな歌い方してポリープになるなんて僕には考えられないけど、君は今までずっと歌い続けてきて、これからも歌うことに関して、神様がここで一旦リセットして、もっとこれから長く歌えるようにお休みを下さったんだから、心配しないでオペをしなさいと。私にとっての生き神様になったんですよね。さだまさしがね。

虹~ヒーロー~

45年ということにさしてこだわりはありません。25年前、雪村いづみさんが「あたしはね、来年で40年になるの。私のために歌を書いて」言われたの。喜んで「虹」を書きました。あるとき岩崎宏美が聴いて、とっても感激して、まさしあんなうた私にも書きなさい、っていうのね。簡単に書けるもんじゃないんだ。そしたら雪村いずみさんに手紙を書いたんです「虹が好きです。私にも歌わせてください」はがきが1枚届いたそうです「あなたのような素晴らしいシンガーに届いて嬉しい。一緒に歌いましょう。どんどん歌ってください」宏美は胸を張って言いました「まさし、私も歌うわよ」

曲はほかに「指定券」「都会暮らしの小さな恋に与える狂詩曲」「REborn~嘘つき」など。

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