父親の自覚ない夫に嫌気
(抜粋)
夫は子育てや家のことは私任せ。パソコンなど自分のしたいことを優先させてきました。夫の代わりに息子のしつけや遊びに関わってくれたのは私の弟です。父親の必要性を夫に話しましたが「父親になる方法を知らない」とパソコンを眺めながらの返事。家族に無関心な夫。母が他界したので、これまで以上に子育て・家事・仕事の3役をこなさなくてはなりません。なぜ私が、夫という大きな子供の世話までしなければならないのか。夫の全てに腹が立つ。夫から離婚を切り出され、望むところだが、知人から「離婚は子供に悪影響だからいけない」と言われました。夫の生活態度は変わらず、今は家庭内別居状態。
はじめに謝罪。自分も、家事育児のほとんどは義務感でこなしてきた。本当は早起きが嫌いなので、朝4時に起きる日々など弁当ノイローゼに過ぎない。とっとと解放されたい。
自覚を持てとよく言われてきた。そのときどきで「理性」は働いたかもしれないが「自覚」そのものを持っていたかどうかわからない。持っていたのは「義務感」だけだろう。
ただ、病気を最小限に防ぐために予防接種はさせたし、飯は人一倍食べさせたし、スポーツやりたいと言えば寝たい食べたい遊びたいを我慢して弁当作ったり、嫌な親と付き合ったりしたし、ホントはうちでずっとパソコンに向かいたいけど、生活が苦しいから労力の割に、対価価値のあんましない仕事を続けたりしているし(もし辞めても再就職は難しく、時間がかかるだろう)金もないのに奨学金借りまくって私学に行かしたし、これからもその可能性が高いから進路の為の道筋について、オットも交えて話し合いはしている・・つもりだ。
正直、複数子供がいて、なおかつ専業主婦の人が疎ましい、いや、うらやましい。(病気や介護中の人を除く)
躾は「身なりを美しく」と書く。自信がない。たぶん「ちゃんと」躾をしていない。抜けてる人間の子育てなんて隙だらけ。わたしたちは学校に謝ってばかりだった。義務感でやっていないことがひとつだけ。それは、会話。眠くても、逆に起きてて忙しくても、家族とはよくしゃべる。だって面白いもん。
だから俗な言い方をすれば自分は「母親の資格がない」世の母親の大半は、母になるのに無資格無免許なんだけど。だって「母親採用試験」なんてないでしょ?きっとこの夫も似たような屁理屈を並べるのかね。「父親になる方法」・・んなもんないっすよ。世間では子供のいる男の人、あるいは女の人を父親、母親とみなすのですよ。息子にとって父親の存在ってどんなん?事情によりけりだけど。
家庭内別居はテレビが煽ってるだけなのか。あまりにも放置してると、相手がポックリ逝っても気づかずに死体遺棄で逮捕されてしまう。存在感がなさすぎて本当に気がつかなかったのか。同じ敷地内にいて相手を(心理的に)抹殺しちゃったのか。夏は異臭がするからわかるようなもんだが、わかんないか。
<家庭内別居>相手が死んでいても気づかず!ベランダに妻の腐乱遺体: J-CAST テレビウォッチ
山田昌弘先生の回答
「離婚は子供に悪影響」というのは、古いというより間違っている。子供に悪影響を与える身勝手な離婚もあるが、しないがゆえに子供に悪影響を与える影響も多い。あなたの場合は後者なのでは?あなたが我慢し続ければ、夫の身勝手さは一生治らない。みんなが幸せになるために離婚を決断する母親を、むしろ誇りに思うのでは。弟さんもおられるので、息子さんと共に第二の人生を歩みだす時期。
子育て終え寂しさ
40代後半。子供達は成人した。街で小さな子ども達を見かけると寂しく感じる。あんな頃があったな。子供たちが小さい頃は、早く大きくなってくれないかと思っていました。大きくなってしまった今、子育て真っ最中だった頃が幸せだったことに気づきました。私以外の人になら、ボランティアや趣味に時間を使えばいいと忠告するでしょう。私は趣味もない。友達を作るのも非常に苦手。表面的には子離れできてると思う。心の奥は寂しさでいっぱい。
久田恵さんの回答
幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
若山牧水の有名な歌にあるように、人は皆このような心境を生きているのだと思います。人生は寂しいのが前提。「あの頃は幸せだった」と思えるのは一生懸命子育てすることで寂しさを紛らわせていたとも言える。ひとは寂しくて当たり前の心境に立ち、自分の寂しさととことん向き合っていくしかない。母子家庭の時「お一人でお寂しいでしょう」とよく言われました。その度「寂しいのが好きです」と答え続け、本当にその心境になってしまいました。寂しいのもいいもんです。
お坊さん、尼さんのような回答。寂聴先生だったらどのように答えただろう。
こんな感じか。
人は所詮一人で生まれ、一人で死んでいく孤独な存在です。だからこそ、自分がまず自分をいたわり、愛し、かわいがってやらなければ、自分自身が反抗します。
— 瀬戸内寂聴bot (@jyakucho_bot) 2014年8月20日
そもそも40過ぎて、友達を無理に作る必要があるのか。
蛭子能収だって「その必要はない」って言ってたぞ。
中年に新しい友達って必要? 人間はひとりで死んでいく 蛭子能収さん (1/4ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
このところ、イギリスのジョージ王子のニュースを見ては心が和む。ビルビーのぬいぐるみを投げる姿など実に可愛い。別に「うちの坊主にもあんな頃があった」などといちいち思っているわけじゃない。王子が父に似て将来禿げたらどないしよう、心配はそれだけだ。
だからって、もう息子が小さかったあの日になんか帰りたくない。
母には頻繁に連絡を取り合う友達がたくさんいる。自分にいるかどうか甚だ疑問。こっちは友達と思っていても、相手は全然思ってないなんて女にはよくあること。
60過ぎたら、40代に思っていたことが一変するかもしれないが。