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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

SWITCH インタビュー 達人達 いきものがかり 水野良樹×映画監督 西川美和 他者との関係性(抜粋)

他者との関係性

西川さんに送ったメール

僕は他者とつながるために歌を書いています。だからこそ、ときに「人畜無害」「無個性」と揶揄されながらも、大きな言葉しか使わず、分かりやすさだけに過度に寄った作品たちを意思を込めて書いています

分かり合えない他者とは分かり合えましたか?と聞いてみたい

永い言い訳を書いた理由

カープファンだけあって、モッくんの役名が「津村啓こと衣笠幸夫」
水野:僕はいい意味でも悪い意味でも津村に共感を感じていて、他者との関係性みたいなものが、西川さんの中にテーマとしてずっとあるんじゃないかと勝手に思ってしまってて
西川:なるほど、そうですね。関係性について書いてしまうのはほとんど無意識ですね。上手く繋がれないこと、ディスコミュニケーションにどうしても興味がいっちゃう。今回、曲がった自意識や弱さをより濃く投影した部分があると思います。
水野:西川さんは、自分が生きていく中で、他者との関係性に悩むことはありますか?コミュニケーションがうまくいかないだとか
西川:それは悩みますよ(笑)始終。
水野:凛としていらっしゃるというか、自立というか
西川:水野さんが思っているほど人を緊張させないんだと思いますよ。あたしだって、相手によってはガチガチになりますから

水野:「永い言い訳」を書かれた理由は?意識的?たまたま?
西川:流れです。いい年をして子供を育てたこともないっていう。子供がいないまま中年になった人間の身の置き場のなさであるとか、それが悪いことではないんだけど、世界に対しての自分の立ち位置がどんどんわかんなくなっていくんですね。20代とか30代の前半は、自分の人生で実現することに必死だから感じなかったけれど、自分の中に重なってくるいろんな負い目引け目を、年齢相応みたいな、ある意味自分の足りなさとか欠落を逆手にとって「絶対自分だけじゃない。この欠落感や寄る辺なさを感じてる人間は」っていう。そこは賭けなんだけど、自分の欠落や恥を出せば、これだけ物語が既にある世の中で、ちょっとだけ新しい角度を投影できるのではないかと思った。

是枝裕和さんの助監督としてデビュー

結構疲弊してたと思いますよ
低予算の辛い現場が多くて「続かないな」って言ってて
助監督になるんじゃないんだったら脚本を早く書けばって。
脚本家になりたいって言ってたから書いて持って来れば、って。
歳世に持ってきた初稿の段階で、もうできてたからね
普段僕が感じてる彼女の人間的なおもしろさとか辛辣さとか
とてもかないません。

他者からの評価

西川:賞とかもらったら嬉しいけど、根っこのところでは何も考えてない。自分のためにしか作ってません。あたしみたいにオリジナルで話を書いて映画撮っちゃったりしてると監督本人の力が強くなりすぎて、本数重ねるごとに誰も何も言わなくなるんじゃないかと思って。言ってくれます?今でも、歌詞や言葉のこと
水野:いやあ、少なくなったと思いますね。誰も言わなくなったから、すんごいネットでサーチしますよ。ほんとに病気かなっていうぐらい。映画の中で津村が自分のことを検索するように

西川:自分の場合は、なんなの?結婚?
水野:水野良樹 嫁 って出てきますね
すごいきついですね、気持ちとしては。高校生のとき教室で友達と話してる会話って、誰にも聞けないじゃないですか。その時の即物的な考えで言ってる言葉に真意があるような気がして
西川:水野さんはネットで書かれているようないわゆる誹謗中傷も含めて作品に生かしている?
水野:生かさざるを得ないしね、大衆歌なんでなるべく全ての感情にするのが歌の作り手のやらなきゃいけないことというか。どんなにそれが汚い言葉であろうと、見ておきたいな。空気は感じてないと大衆歌だからダメなんじゃないかと思ってる。

映画制作は他者が家族に

西川:人との関係性も映画という表現手段そのものも自分の家族に近いものになってるじゃないですか。
水野:愛憎とか
西川:いろんな人が関わりいろんな人が汗をかく。映画という仕事に身を置けてることがありがたいなあと思うようになりました。けどそれも最近ですね。水野さんは私よりお若いのですか、10歳ぐらい
水野:今年34になります
西川:割と早い段階から意識的に他者というものに対して意識的になったりするのはなぜだろうと。ふふ。

永い言い訳 (文春文庫)

永い言い訳 (文春文庫)

水野良樹が作り出す歌とは

水野:手を「握る」と「つかむ」では全然違うと思うんですけどメタファー(比喩)にしやすい。
西川:一人称を「僕」にする時と「わたし」「あたし」にする時があるでしょ?
水野:歌ってるテーマによるんじゃないですか。恋愛に近いものだと「わたし」「あなた」とか少し硬いものにする、よりおっきいものだと「僕」吉岡は女性なので、女性に良くある人称を使ってしまうと狭くなるので結構、感覚的に「僕」かな

高校時代

水野:一番褒められたのが人前で歌を歌うこと。中学高校時代、コミュニケーションがスパッとダメになっちゃう瞬間があって。クラスの誰とも話さないで6ヶ月間ぐらい過ごすとかホントに細かいことなんですけど、僕と弁当を食べる人が誰もいなくて、コミュニケーションで自分は不得意だなと思う瞬間があって。そういうとき歌を作って高校の友達に教室で聞かせたんですね。目の前で歌って。彼がすごくリアクションの大きい子ですごくいいやつで。「マジすげえよ!水野くんめちゃ天才!」オーバーリアクションで言ってくれたのがホントに嬉しくて。自分が肯定してもらえることがいくつかある中に音楽があって惹かれていったんですね。

大衆歌

西川:どうしたら人を惹きつけられるのか、もしかしてコツとか奥義のようなものが・・
水野:分かんないです。大衆歌と言ったりポップソングと言ったり。新しい言葉を生み出せなくて言い当ててるんですが「上を向いて歩こう」僕の憧れの歌なんですが、いつの間にか上をむいて歩くことが前向きであることと、みんな感じてるじゃないですか。
西川:そうとしか捉えたことがないですけど
水野:そういう多くの人に歌われていく歌の可能性だと思っているんですね。
西川:すごい分析ですね
水野:なるべく多くを書かない。書くチカラがないのかもしれないですけど、器になることを大事にしたのはプラスになってると思うんですね
西川:器ですか、中身ではなくて。
水野:中身ではないです。僕大前提として「人間と人間は分かり合えない」があって共感する歌は広く届かないと思う。ある程度まではいきますけど。ある人が「この言葉は自分の言葉だ」って思った時が一番届くような気がしてるんです。弁当屋で惣菜を選んでたら、同じような年代の夫婦がいて有線で「ありがとう」が流れて、奥さんが「ゲゲゲの曲だ、私この歌好きなんだよね」旦那さんが「ああ知ってる知ってる」口ずさんでそこで夫婦の会話が生まれるんですね。旦那さんふざけて歌ってるから、奥さんも楽しそうで。その隣に作曲者がいるとは二人は思ってない。そういう日常生活の何気ない瞬間にスッと入っていったり、ということのほうが受け入れられたり曲が届いていると思うんですね。結婚式の花束贈呈で「ありがとう」が流れることが多いと思うけど、その時の新郎新婦は複雑な感情がある。親子関係だったり反抗期だったりを経た上の「ありがとう」であって、その人たちの共通理解での「ありがとう」じゃないですか。曲があってそれに寄り添って。器として大事な気持ちをそこに入れた時の方が、歌が届いているな。誰かの生活に届いているな、と。

分かり合えない他者とつながるためにこそ、僕は大衆歌を書いています


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