反省と後悔の日々
40代。
父がガンで亡くなったことが受け入れられず、反省と後悔の日々を送っています。亡くなったのは8月。77歳。春に癌が見つかり、その時は既に末期でした。病室で弱っていく父の姿を見るのが辛く、目を合わせられなかったり声をかけられなかったりしました。
夜、母から様子がおかしいと電話があり、その電話の最中に息を引き取りました。
家に帰りたいという希望を叶えることもできませんでした。(略)ぶつかったこともありますが、尊敬し誇りに思っています。
生前にありがとうと言えませんでした。何もしてあげられなかった自分を責める毎日です。遺影を見ると涙が出てきます。
父の死を受け入れるには時を待つしかないのでしょうか。今の私にできることはなんでしょうか。
いずれやってくる別れ
自分も親も同世代。
父は7年前から入退院を繰り返している。実家と近い距離に住んでいるので、様子がおかしいと夜や仕事中にも電話がかかってくることもある。母はもう少し働く予定だったが、精神的にも肉体的にも無理だと判断し、辞めた。老老介護に近い状態である。かと言って自分や妹が仕事を辞めて介護をするとなれば家庭が立ち行かなくなるだろう。それはできない。
自分は父と似たもの同士な性格のため「尊敬し誇りに思えるか」は非常に微妙。じつは7年前、医療ミスでいちど生死をさまよった。
転院しなければこの世にはいなかっただろう。いつも思うのだが、介護や医療機関に勤務する人には尊敬の念しかない。あのような気難しく暴言持ちの父だから、申し訳ない。
生前に「ありがとう」はどのタイミングで言えばいいのだろう。言えないんじゃないか。生きている「こちら側の」人々は、死にゆくひとに言えないまま、永遠の別れが来るのではないか。
海原純子先生の回答(抜粋)
素晴らしいお父様だったのですね。どんなに最善の治療をしても、亡くなってしまうと後悔ばかり残るもの。それは愛情の強さの裏返しでもあります。
大切な人が苦しむ姿を正視できる人は、まずいないはず。弱っていく姿に声をかけられず、目を合わせられなかったのはもっともなこと。お父様もそれを分かっていたと思います。
お父様がしてくれた様々なことをご家族で思い出して話し合ってみてはいかがですか。親子関係がうまくいかない方たちが多い今、尊敬できる父親を持ったことは、あなたの人生の大きな財産だと思います。そんなお父様の生き方の記憶を忘れずに進んでください。
後悔の代わりに「ありがとう」と感謝の言葉を心の中でつぶやくと、気持ちが少しづつ軽くなるでしょう。その言葉はきっとお父様に伝わっているような気がします。
※葬儀屋のCMってやたらに明るく故人を偲ぶ内容のものが目につく。実際はなかなかできないよね
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追記 2019.5 父は2月に亡くなりました。死を受け入れるのはできる。なぜかどうしようもなく口が悪いところが、自分も似てしまったなとかそんなことばかり思い出してしまう。
誰かが亡くなること