小林家
曾祖父・小林一三と阪急電鉄開業、宝塚少女歌劇
明治6年生まれ。母・幾久野は一三を出産し、半年後に22歳で死去。本家に引き取られる。17歳の時、山梨日日新聞に小説を連載。三井銀行大阪支店に入行、明治33年丹羽こうと結婚。37年に三男で祖父・辰郎誕生。
明治40年銀行をやめ、大阪・阪鶴鉄道に入社。手付かずの計画書(梅田と箕面市、宝塚市、西宮市を結ぶ路線計画)を見つける。5億以上の負債を背負う覚悟で、箕面有馬電気軌道(のちの阪急電鉄)開業。沿線の地帯を丸ごと買い取り、分譲住宅地・室町住宅として売り出す。10年間の月賦で完済できる、日本初の住宅ローン。箕面動物園、宝塚新温泉パラダイスを建設。
大正3年、宝塚少女歌劇を始める。
修造:なんで僕の名前は”三”じゃなかったんだろう。僕は”造る”なんです。三持って来いよ(笑)
松岡家
高祖父・松岡修造と曾祖父・潤吉
安政6年生まれ。米穀商から松岡汽船。
修造の死後、曾祖父・潤吉が松岡汽船を継ぐ。実業団スポーツ(野球、テニス)の運営もした。
松岡汽船所属・佐藤俵太郎はテニス国内ランキング2位。のちの日本プロテニス選手第一号。
次男・達郎は松岡節子(さだこ)との縁談があった。高祖父・修造を亡くしたばかりの節子は縁談が急がれ、昭和5年結婚。達郎は松岡姓を名乗ることに。
次男・功(父)東宝社長
昭和9年生まれ。経営者として30年にわたり映画「日本沈没」「八甲田山」「影武者」に関わる
功:映画とテレビとか、映画と書籍の結びつきをしていくことで、1+1が掛け算になったり、非常に大きく伸びていく
山本家(母方)
昭和10年、片平フサ子は山本喜之輔と結婚。3人の娘はタカラジェンヌ。終戦後、疎開先の静岡で屋根の修理をしていた喜之輔。梯子を上ってきた5歳の長男が転落死。
喜之輔は興津精器工業株式会社を興す。
フサ子の次女・静子は昭和31年高校中退し、宝塚音楽学校へ。翌年千波静としてデビュー。男役。昭和36年、功と出会う