小島家
曾祖父・丈太郎
明治中期、北海道へ移住。小島印刷所、役場関連の活版印刷を請け負う
祖父・文夫
昭和3年、小樽所商業高等学校(現・小樽商科大学)入学。卒業後は不動貯金銀行札幌支店に就職。ニコニコ主義。
借金の保証人になったものの逃げられ、銀行に居づらくなり退職。アンゴラウサギの毛を高価な繊維に、と考えるもうまくいかず。パチンコ店での清掃などをする。
昭和27年、信用保証協会の話が舞い込む(公共工事の発注に伴い、国や自治体が建設業者に支払う前払い金を保証)
迷うも、こんな自分だからできるかもと決心。
現在も札幌市中央区に会社がある。
昭和28年国道36号線(札幌ー千歳間)、昭和27年桂沢ダム、昭和37年苫小牧港・中山峠改良施工などインフラ工事を支えた
父・孝之
勤労者の福祉政策を重要視する政党に共感し、政治家を志すも文夫に猛反対される。
早稲田大学卒業後、民社党職員になる。琉球舞踊がきっかけで智恵と出会い、昭和53年結婚。次男・義雄(よしお)を里帰り出産直後、孝之は春日一幸に評価され、参院選出馬。現職議員死去にともない補欠選挙、落選。昭和58年参院選・衆院選、昭和61年衆院選、平成2年衆院選落選。
平成8年、衆院選出馬するもまたしても落選


