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【ファミリーヒストリー石黒賢】一族・曾祖父・五十二、榎本武揚、杉田主馬 父修

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石黒家

高祖父・千尋

国学者。加賀藩の国学(日本人独自の精神性を追求する学問。江戸や京都で広まる)の先生。藩校国学教授に抜てき。

嘉永6年、ペリー来航。攘夷(じょういろん)論から尊王攘夷運動へ発展。異国戦績をすべて追い払うのは誤りと主張したが広まることはなく、養蚕を奨励するようになる。「学問は実生活に役立つようにすべき」

曾祖父・五十ニ(いそじ)

千尋の次男。明治維新の3年後に上京。翌年千尋死去。大学南校(東大の全身)に入学。土木工学専攻。卒業後は火葬場を設計するなど技術を任される。文部省が募った海外留学に応募。明治12年、24歳でロンドン留学。イーストン&アンダーソン社入社。見習い技師として働き始めるが、作業員に信頼されず孤独な環境だった。上下水道の敷設やエジプト・サハラ砂漠などあらゆる現場で働く。森有礼に留学の2年延長を申し出るが「愛国心が薄いのではないか」と反対された。しかし信念を貫き、イギリス土木技師学会に入会を認められる、ネーバー・ブリッジを建てる。(2024年8月取り壊される)

帰国後は内務省技師としてインフラ整備。神田下水、筑後川若津港導流堤などを設計

榎本武揚と五十二は親しくなる
ja.wikipedia.org

榎本武揚は流星刀を石黒家に譲渡。

祖父・九一

京大卒。タービン発電機の父。三菱電機就職。長崎製作所に就職。菊と結婚。長崎の原爆投下で被爆。

父・修

昭和11年生まれ。戦後初の日本人プロテニス選手。昭和47年、日本プロテニス協会設立。2016年死去

デ杯東洋ゾーン

杉田家

祖父・主馬

母方の祖父。語学を学び、東京帝国大学法学部入学。外交官試験に合格するも、海軍の法律顧問に。

ケンブリッジ大学・トリニティカレッジへ。

第一次上海事変。昭和10年帰国。海軍書記官として働き、結婚。

曾祖父は安田財閥~銀行

阿川弘之の海軍三部作から

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石黒賢といえば高校生で観た「青が散る」

蒼いフォトグラフ 青が散る 最終回OPより

大塚ガリバーさんは2024年2月死去

人間の駱駝(ひとのらくだ)大塚ガリバー
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絵本の翻訳も。

マルタとじてんしゃ

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