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ワルイコあつまれ 松田優作 生い立ち、足切断を希望、ブラックレインと癌

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アナザーストーリーズ 2022.11.11

アンディ・ガルシア

忘れられないのがニューヨークのレストランに優作が初めて登場するシーンだ。優作は入ってくるなりひとりで舞台を乗っ取ってしまったんだ。優作がバイクに乗って私の首を切るように見せるためには、お互いに信頼し合うことが大切だったよ。優作と私は出演者の中では若者組だった。だからすぐに仲良くなれたんだ。

私の前ではすごく安らいでいるようにふるまっていたんだ。一緒に居た時にそんな深刻な症状だったなんて。苦しんでいる姿を一度も見せなかったし。

真相を知ったのは亡くなった後。

バー「LADY JANE」マスター 大木雄高

本人が一人でやってきて「ちょっと話があるんだけど」主治医から言われたことが「命を取るのか、映画を取るのかどっちかにしてくれないと」選択を患者の松田優作本人に突き付けられたそうなんですよ「雄さんだったらどっちとる?」「自分でもとっくにどっちか決めてここにやってきたんじゃないのか?」そしたら「そうだ」とは言わなかった。でも、そうだったんです。

一生に一度出会えるかどうかの、どうしてもやりたい仕事。

アラン・プール アソシエイトプロデューサー、通訳

マイケルダグラスとの泥まみれの格闘シーン、撮影は3日間かかった。毎日泥だらけの濡れた服を着なきゃいけなかった。優作さんにとっては苦しかったと思う。最後の2日間はトレーラーのバスルームから出たくなくて、閉じこもってすごく苦しんでた。撮影で初めて優作さんが怒って「ほっとけ!」って言ったんですよね。中から厳しいことを言ってた。20分ぐらい現場でみんなが待ってるのに。中にある病気や苦しみを力いっぱい抑えて「はい、1日の仕事をやりましょう」と。

國村隼

ワンテイクごとに違うイメージを求められるんですよ。僕は優作さんみたいにできなかったんですけど。「ずっとアメリカで映画が撮りたかった。やっと今やりたいことがやれている」しんどいんじゃなくてむしろ楽しそうだった(病気は)まったくわかんないですね。全然

石橋凌

「実はな、アメリカのブラック・レインって映画が決まったんだよ」突然おっしゃったんですよ。自分まですごくHappyになって、ステージで着てた赤いスーツと白いシャツで行ったんですよ。おめでとうございます!と入って行ったら「なんだお前紅白のまとってよぉ」ほんとに僕もうれしいんですよ。

出会いは撮影の6年前。音楽活動に行き詰まり、直感で相談を持ち掛けたのがきっかけで俳優になった。

大阪ロケ、ニューヨーク、ロスから帰られるたびに呼ばれて「凌、すごいぞ。俺は”映画の父の国”に行けた」自分が考えてきた演技論が本当に受け入れられて、自由にできる映画の父の国だったんじゃないかなと思う。

プロデューサー、シェリー・ランシングでしたっけ?女性の。飛んできたらしいんですよ。リドリー・スコット監督に「こkはマイケルのシーンだよ。なんで優作を追ってるの?ここはいかにマイケルを立てて見せ場にするかでしょ?」えらい勢いで怒鳴って行っちゃったらしい。リドリー・スコットは「わかったわかった」彼女が行ったとたん、優作さんのほうを見てウィンクしたらしいです(笑)意味が「そのままでいいよ。絶対俺がいい感じにするから」

3つのハードルを意識していた

「何で合作映画で日本人の役を日本人ができないんだ?」ひとつはSAG(全米映画俳優組合)には入れてない、ふたつめは語学、言葉。三つめは差別・偏見。戦うしかないね、いつもおっしゃってたわけですよ。


候補には萩原健一、根津甚八、小林薫の名が。
ブラック・レイン (字幕版)

げいのうかいむかしばなし

生い立ち

山口県下関市で生まれた優作は、子どものころから映画館に入り浸り、俳優を夢見ていました。高校生の時から自ら戯曲を書き、映画誌に投稿していました。いつか役者になりたい...暗い映画館の中で夢見ていました。

おとなになると身長は185センチ近くあり、手足が長くバツグンの運動神経を持ち合わせて成長していきました。

そんな優作は俳優を目指して劇団に入ります。ある時チャンスがおとずれます。テレビプロデューサーがけいこ場での優作を見て、芝居に対する体当たりの度胸の良さにおどろき、テレビドラマの小さな役を与えます。ほんのちょっとの出演ながら迫真の演技を見せスタッフをおどろかせました。これをきっかけにチャンスをつかみます。

なんじゃこりゃー!

ジーパン刑事が殉職するとき。敵との銃撃戦の後撃たれてしまうジーパン刑事。

台本には「どさっと倒れ純は空を見上げる 純は死んだ」としか書いてなかったのですが、本番では撃たれたお腹に手を当て、血に染まった手を見て「なんじゃぁこりゃぁー!」そのあと後ろにばったりと倒れこみ「死にたくないよ、まってくれよ、俺はまだ死にたくないよ、何で死ぬんだよ」すべて優作がアドリブで演じました

日本中でたくさんの人々がマネするほど話題になったのです
アナザーストーリーズ 太陽にほえろ!誕生 マカロニ、殿下、テキサス刑事 - 別館.net.amigo

野獣死すべし(1980)

伊達邦彦という主人公の狂気を演じるため、優作はスタッフ「クランクイン前に時間が欲しい」といって、誰とも会わなくなりました。役作りのために山籠もりをしていたのです。戻ってきたときには体重が10キロ減っていました。それだけではありません。なんと奥歯を4本抜いていたんです。抜くことにより、顔面蒼白の幽霊のような、オニのような存在感を漂わせる主人公を作りあげたのです。実はこの時、身長が高すぎると思った優作は「可能なら足を5センチほど切断したい」真剣に語っていたそうです。それほどまでに命を削って役を作る松田優作は頭角を現していきます

ブラックレイン(1988)

ハリウッド映画のオーディション。リドリー・スコットというアメリカのハリウッドで有名な映画監督の作品。

「佐藤」という主役と並ぶ敵の役があり、オーディションに200名を超える俳優が参加しました。最終選考に残ったのは、日本を代表する個性派俳優ばかり。松田優作もいました。

緊張で声や手が震えるものもいたそうです。優作は実に堂々としていた。監督は言いました「GREAT!彼だ!これでカメラを回せるぞ!いまからでも撮れる!」この役を勝ち取りました。しかしこのオーディションの頃、すでにがんに侵され始めていたのです。撮影中に痛みを感じ、都内の病院で検査を受けました。そこでがんが発覚しました。優作はそのことを家族にも隠しました。治療をするとアクションシーンが撮影できなくなると拒否したのです。撮影中体に激しい痛みが走っていたのですが、かくして演技に没頭しました。人間の魂が光を放ったような演技でした。
 ブラックレインが日本で公開された1か月後、1989年11月6日、まだ40歳の若さで松田優作はこの世を去りました。

さいごに

昔の雑誌、STAR(1975)11~12月合併号。「俺たちの勲章」「赤い迷路」の頃、下関に住む母を取材。前年交通事故に遭ったそう。実家は貧しかった。3年ぶりに嫁さん連れて帰る、とある※松田美由紀さんではない。

前妻の旧姓は熊本さん

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探偵物語、ドラマも映画も見た。でもいちばん好きなのは家族ゲーム


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