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SWITCHインタビュー達人達 かの香織×パーヴォ・ヤルヴィ N響 命につながる音の造り方(抜粋 

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パーヴォ・ヤルヴィ

直感とコミュニケーション

かの パーヴォさんが指揮をされると、新しい、聴いたことのない、見たことのない命がその中に吹き込まれている感じがして、全く別物に感じてしまったりするんですね。

パーヴォ そう言っていただいて光栄です。音楽家にとって一番の賛辞です。音楽は有機的なものであって、自然で論理的でなければなりません。勉強に打ち込んできた音楽家は、どうしても頭で考えてしまって、分析しすぎるあまり、頭でっかちな演奏になることがあります。やはり音楽というものは感じなくてはならない。だからそれまで考えていたことをすべて忘れて、感情に任せて直感のおもむくままに音楽と一体になるのがコツです

かの パーヴォさんと楽団員とのコミュニケーション、とても親密に感じたんですよね。懐かしい友達に会うような近さ。音にもものすごく大きな影響を与えてるんじゃないかなと感じたんですけれども

パーヴォ オーケストラは、人とのコミュニケーションと同じです。1人で100人の演奏家と向き合わなければなりません。彼らに曲の素晴らしさを引き出すリーダーとして、認めてもらわなければなりません。どんな懐疑的な人にもね。特にリハーサルの場合は、心理学者のようなこともしなければなりません。時間をかけないと理解できない人もいるし、すぐに飲み込める人もいます。色々と説明したがる人もいます。私の場合、なるべく音楽に頼りません。音楽による指示がうまく伝わってないと感じたら歌ってしまうんです。そのほうがオーケストラに伝わりやすいんです。オーケストラの第一言語は音楽なので、そのほうが理解が早いんです。昔の指揮者は独裁的で、オーケストラの楽員に恐れられていました。今は幸いそういったことはありません。一体感を生み出すには恐怖感よりも、優しく愛を育むことが一番です。

祖国エストニアへの思い

アメリカへ移住後、再び戻る

パーヴォ 突然夢のような自由が与えられたのです。全ての人が当たり前のようjな自由を持っていることにびっくりしました。私が子供の頃は、言論や行動・思想の自由がありませんでした。それに反すると厳しく罰せられました。私の経験を仲間に話しても、誰も信じてくれませんでした。

かの アメリカに行った時は、もう戻ってこれないかもしれないなという思いもお有りだったと思うんですけれども、その後エストニアに戻るという...戻った時のエストニアは、どう映りましたか?
パーヴォ 今はすべてが違います。それは人々が自由になったからです。人として基本的なことができるようになると、すべてが変わるのです。エストニアの人たちがアイデンティティを失ってしまうことを恐れています。世界の一員になるのを喜ぶあまり、自分たちのルーツを忘れ去ろうとしている。私の理想は自分のルーツとつながり、世界の一員として自由を得ることです。

できるなら、一番会ってみたいのはマーラー。どのようなリハーサルをしているのか観てみたい。作曲家でありながらその時代最も名声を得ていた指揮者。スコアに書いた記号の意味、どんな演奏を理想としていたか、音楽的なことを聞いてみたい。
いいレコーディングをしたと思っても、1年後聴くとがっかりすることがある。ある程度の距離と時間をおいて自分を客観視し、批判的に見つめ直す。そうすることで初めて成長できる。それが指揮者の醍醐味。終着点はない。

かの香織

萩野酒造

心の勉強というか、音楽もそうだと思うんだけど、心にどんどん響いてくるものがあるっていう世界で。ものづくりっていうところでは音楽もお酒も一緒。
麹自体のコンディションが悪いと、ちょっといつもと違う匂いがすることがあったり。確認確認を繰り返しながら、赤ちゃんをいたわるように。

パーヴォさん、酒蔵行ったんだ

かの 浄化された世界、清らかな世界で造る。言葉もすごい大事で。ネガティブな言葉、悪い言葉、きたない言葉は一切使うことができません。もし言ったら、一緒に働いてる蔵人がすごい投げやりになったり「なんだよ」って道具に当たったり。最終的にお酒の味があまりよくないところまで行き着く。味づくりでは大切な要素になってくると思うんですね

パーヴォ 私もそう思います。オーケストラでも同じです。一人の悪い態度で変わってしまいますからね。私も気をつけます。
かの がんばります

パーヴォ 音楽で大活躍されてたのに、なぜ酒造りを

かの 家業が宮城の十二代目、1757年からスタートした造り酒屋だったんですね。ある日親が「やめてしまおう」言った時の顔がね、なんか寂しそうで。本当に素晴らしい世界なのに全部やめてしまうのが本当に悲しかった。それを受け止めて、自分で小さな規模だったらやれるかなというのがそもそもの、本当にシンプルな動機、スタート。やってるうちにお酒って、ビジネスの世界じゃなくてもっと精神性の世界。たくさんの学びがそこの中にあって、単なるお仕事じゃなくて心の勉強。心にどんどん響いてきて引き込まれた。音楽も引き込まれていく状態ってありますよね。ものづくりっていうのは音楽もお酒も一緒。