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【メモ】竹内まりや Music&Life~40年をめぐる旅~ 岡田有希子、人生の扉に寄せる思い/提供曲

デビュー

1978~80年

マチュアのままでデビューというか、アルバイトの延長ぐらいな感じ。まあでも、それこそ、1枚ぐらいアルバム作ってダメだったらやめようぐらい。ほんとに今考えたら、何考えてたんだろうという感じなんですけど。怖いもの知らずなところはありましたね。音楽を作る現場をとても愛していたので楽しかった。その興味が尽きなかったんです。だから...これはやめられなくなるかも、という自分もいましたよね。

Mariya Takeuchi 竹内まりや - September (LIVE 1979)

80年放送、なつかしのヒットポップスで坂本九と共演した映像。カレンダー・ガール(日本語版)デュエット。

3年目の転機

81年活動休止

過密スケジュールに疑問
ポリープ寸前だって言われて入院をしたんですけども、その時病院で、ハードスケジュールのために歌を歌うことができなくなったのは、なんか本末転倒な気がして。歌うために自分は活躍してるのに、その活動が歌を歌わせなくするのは違うんじゃないかなってずっと考えてて。全部リセットするために、全部1回やめてみようかなって考えました。
どうやったら音楽を自分なりに、ちゃんと作ってちゃんと届けられるのかずっと考えていたんですよ、その方法を。

84年活動再開

達郎の協力、彼のプロデュースだったことが大きいと思うんですよね。彼だったら「こういう間奏にしたい、こういう音づくりにして欲しい」を正直に伝えることが出来る相手ですので。日常も音楽制作もずっと一緒に居っぱなしで疲れませんか?とか、反目しあうことないですか?とか。でも注文もできるし、プラスのこともいっぱいあるんですよね。

提供曲

河合奈保子/けんかをやめて(1982)

奈保子ちゃん 今までハツラツ系の元気な曲だったけど、ちょっとしっとりした曲を歌ってみても面白いんじゃないかということで、ロッカバラードの「けんかをやめて」を提供。

けんかをやめて 河合奈保子

優しい歌声。そりゃけんかにもなるわな...

薬師丸ひろ子/元気を出して

とても癒される声だなと思ったので、女の子が失恋して、友達が癒す、励ますような歌にしたら彼女の声は合うんじゃないかと。
人生はあなたが思うほど悪くない

薬師丸ひろ子 元気をだして
:

岡田有希子/ファースト・デイト(1984

4月8日が命日。

【PV】 岡田有希子 / ファースト・デイト
:

笑顔とか、着てた洋服も思い出しますよね。短いスカートでしたけど、つぶらな瞳...なんかもうちょっといろんなことを話せたらよかったのになあって後で思いましたけどね。あの頃いろんな悩みとか聞けてたら、なんか違ったのかな。有希子ちゃんのの曲を何回か歌おうかなと思ったことがあったんですけど、思い入れが深いだけ歌えなくて。33回忌を過ぎて、このメロディを歌える気持ちになれた

哀しい予感も好きだな。85年。

哀しい予感

子供が寝静まってからキーボードを食卓に置いたり。もっと赤ちゃんだった頃は、食卓で鳴らしても目を覚まして「えええんっ」って泣いちゃうから。洗面所があってそこは、赤ちゃんの声も聞こえるんだけど、こっちからの音が聞こえづらい場所でやってました。自分のためだったら思いつかないメロディや音楽が、自分自身のために書く曲と違うものとして広がる。バリエーションを持たせてくれるので、ほかの歌手に書く事はとても好き。

ほかにも

MajiでKoiする5秒前、平成9年(1997)だったのね。坊が生まれた年の春。

MajiでKoiする5秒前

堀ちえみ退院記念。82年。時代背景を思うに、LINEは無いけど電話ボックスはあったはず。しかもオチが。

堀ちえみ 待ちぼうけ

86年のミポリン

1986年CM 資生堂 春のキャンペーンソング 色ホワイトブレンド 中山美穂

91年、牧瀬里穂

牧瀬里穂 Miracle Love 1991

2006年、松たか子

松たか子(Matsu Takako) - みんなひとり

50代~

たぶん30代40代は無我夢中で、次のことに向かってもっとこんなことがしたい、あんなことがしたい...でも50代を過ぎると「こんなことがしたい」と思うことができていることに気づかされる。とても幸運なことなんだな。50、60になってから、その瞬間が愛おしいなと思えるのも、ある程度年齢を重ねたからそう考えるんじゃないかなと思えるんですけどね。

人生の扉

大切にしている歌なんです。去っていった仲間たち、旅立っていった先輩ミュージシャンたちもいる。亡くなった人の分まで、生きてる人生生かされている人は頑張らなくちゃとか、そんなことは若い時考えたことはなかったので。明日いなくなっても後悔しない生き方をしようと思うようになったのは50代以降。

いのちの歌、道徳の教科書に載るんだ。
奄美では、数え年13歳になると、ここまで成長できたことへの感謝を、親子で分かち合う伝統がある。