題名のない音楽会
1964年スタート
東京12チャンネルでスタートしたものの、経営危機で番組が継続できないピンチに。出光佐三「この番組はウチが潰れるまで提供する」番組スタッフごとNET(現在のテレビ朝日)へ移動。
※はっきり「出光」ではなく「石油会社がスポンサー」とテロップ。同年スタートの「MUSIC FAIR」も「製薬会社がスポンサー」と表記。言うまでもなくシオノギ製薬
初代司会者・黛敏郎(1964-1997)
「金は出すが口は出さない」といった当初の約束を守られて、文字通り番組の内容に一言も口をさしはさむこともなく、わたしたちのやりたいことをやりたいようにできた。これはおそらく現代のテレビ界においては奇跡に近いこと。
黛敏郎急逝後、永六輔が代理~武田鉄矢(新・題名のない音楽会)~羽田健太郎(2000-「題名のない音楽会21」2007年死去)~佐渡裕(2008- タイトルを戻す)~五嶋龍(2015-)石丸幹二(2017-)
世界ふしぎ発見
1986年-
草野仁:本当に良かったと思いますのは、1回目の視聴率が5.7%、2回目7.2%。3回目、これが5月3日、GWの視聴率3.6%。ドーンと落ちまして、特に広告宣伝会社のみなさんは大慌て。ところがその時に日立の宣伝部長の方がですね「あれ、何を慌ててんですかあなたがたは?歴史と楽しく遊ぶ番組を作ると言って始めたんでしょ。だったらそれを徹底的にやりなさい」そのひとことで一切沈静化しまして。みんなでひとつに。司会、一度はお断りしたんですよ。
軌道に乗るまでは、私なりの意見はきちんと言ってた。
所:テレビ業界って1%が130万人じゃないですか。SNSで100万人超えたって言ってるけど、たった1%ですよ。だからテレビの1%ってもっと自信持ったほうがいいと思うんですよ。ダメじゃないから。
エンディングテーマ(2012年まで)好きなのは石井明美「響きはTuTu」
日立 世界・ふしぎ発見! - Wikipedia
たけし:(NC9の頃の草野さんは)目がきゅっと上がって、ミヤネ屋みたい(笑)
新婚さんいらっしゃい
長寿番組暗黒時代。
たけし
TVタックル 1989-
アンビリバボー 1997-
世界まる見えテレビ特捜部 1990- ※前身は「所さんのまっかなテレビ」1クール終了 たけし登場は91年から
たけし:茶の間に特別感を与えること。「お前だけに教えてやる」みたいな
所さん
1億人の大質問!笑ってコラえて 1996-
スタジオの人が泣かないように持っていく。所さんとスタッフの美意識。
所:スタンダードでやりたいから、レギュラーは変えないでくれという。おじいちゃんおばあちゃんがついてこれないゲストは呼ばない。常に茶の間目線で番組と向き合う。
所さんの目がテン! 1989-
「お届けモノです」始まってから「笑点」を見なくなった所さん。
さいごに
短命番組に懐かしさを感じる。レッツ・ラ・ゴーとか、笑ってポンとか。
後半はポンキッキ、おかあさんといっしょ、ひょっこりひょうたん島。ガチャピンやムックも登場。チャレンジ企画、ガチャピンの頭がでかすぎでF1に乗るのが叶わなかったって当たり前w放送5000回を記念してにこにこぷんとコラボしたのしらなかった。ノッポさん、ポンキッキの構成作家やったん。
最後はのど自慢。秋山さん、小田切千アナ登場。叔父は本選で鐘2つ。その時のゲストだった、橋幸夫に褒めてもらった。翌年急逝。