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ファミリーヒストリー 陣内孝則 福岡県大川市 三代続く木工所 

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家族の歴史というよりもコメント&エピソードをお楽しみいただければ。

孝則:音楽的センスは陣内家にはないと思いますよ。アイデア一発でここまで来ました。ビジュアル系で売れた奴はみんな俺の屍を越えて行ったんです。とにかく過去を暴かれるのが絶対に嫌で、ろくな家じゃないと思ってたから。なんか怖かったですよ。でも内心ちょっと怖いもの見たさ、やっぱり自分の先祖、ルーツを知りたいという気持ちはあって。ビジュアル系というとアレですけど、化粧して歌ってた。きっとね、僕の芸能生命は今日息の根を止められる....

母良子:昔は朝早くからタンス磨きよったでしょ。せんでよかでしょうが今。それで我が顔ばっか塗りよるです
父は商売人のもとにやらせたかったって。失敗しても頑張ればまた起き上がるって、商売人がよかぞっちゅうてだまされていった(笑)

陣内木工

曽祖父八次郎

明治35年建具屋を始める。風浪宮(おふろうさん)に代々奉納。うきは市には古くから陣内という地名があった。(元禄時代に陣内村記載)米穀業をしていた。大川は海運業が栄え、船大工が育ち木工業が盛んに。船の中で使われた、指物という衣類を入れる家具がタンスへとつながった。米国業から分家し建具屋を始めた陣内家。八次郎は四男だったので34歳で独立。

祖父・定治

八次郎が昭和11年に亡くなり、後を継ぐ。建具組合の理事を務めるまでに。太平洋戦争中は木材統制のため、自由な商売ができなくなり、木製の飛行機を作っていた。終戦後木材統制は解除。木工業は急成長。

父・邦雄

長男邦雄(孝則の父)誕生。中学卒業後24歳で継ぐ。服吊りをメインに。
70を超えた頃から入退院を繰り返し、2013年、83歳で死去。
RKBタダイマによると、2023年現在は閉店。

古賀家(母方)

朝倉

※現在実家は大水害に遭い、親族は今も仮設住宅に住んでいる

祖父の家族は冷水峠を越え、飯塚の炭鉱に夜逃げ。旅芸人のようなことをして収入を得ていた。やがて上京し正直屋を開くが、関東大震災にあい全壊。トイレに入ってたため助かるが仕事を失い、再び朝倉に戻る。蝋作りを手伝い結婚。5人の子供に恵まれる。昭和10年、良子誕生。固形燃料を作るように。飯ごうを温めるのに最適と、軍から大量に注文が入る。終戦後は一変したものの、椿油の製造に乗り出す。

昭和32年結婚。

式当日、邦雄がなかなか現れなかったのは)ラジオに集中して。日本シリーズかなんかありよったでしょう。それが終わってからやったたい。三々九度の杯があったのは。

職人さんなど総勢25人の三食分を作る日々。仕事場の二階で9人ずつ寝ていた。舅姑に泣かされたが、トイレ掃除はしっかりした(孝則:ホントかな、絶対トイレの神様か何か)孝則を出産し1年後結核に。姉に結核を口外するなと言われた。ひとり朝倉の療養所に二年。曾祖母シモの訃報を知り陣内家に戻ると孝則が飛びついてきた

良子 不思議でならんわけ。親戚がさ「よう2年も離れとって」私がその情にほだされて。血の涙が出たっちゃこの子のところに帰ってこないといけないと思って帰ってきたわけ。おばあちゃんが縁結びよ。シモさんが亡くなった時につながったわけ。
父「母親は血の涙流したっちゃ。がんばらなしょんなかぞ」スイッチ入れ替えるポイントやったね。もう不満で。恋愛じゃない、好いた惚れたで来たっちゃなかろ。は~っち思ってね、こんな地獄のような生活があるか、不満だらけで生活しよったもんね、それが体にこたえたでしょ。心ばそれで入れ替えた、強なったね
タンス抱えると治るたい。こぎゃんぎっくり腰なって、どうにもならんちゅうて心配しよろうが、トラックおって、これか変えられんて心配してもタンス抱えるとピシャッと治る。ほねのずれとっとが(いやいやいや)
家具の配達の途中トラックがひっくり返って何回転もして落ちた(笑)売上の入った集金カバンを血まみれになりながら探した。もう主人は死んだと思った。布団に包まれて行きよるもんやけ。みんな駆けつけてきてね、第一声がこれよ「邦雄は死んでもよかばってん、良子さんが生きていてもらわんとできん」そう姉さんが言ったそうです。

孝則 幼い頃の母の記憶がないんですよ。おばのことをお母さんお母さん言ってね....

孫は池松壮亮という境さん夫婦も登場。「良子さんで陣内木工を支えていたと思います」

ケンカが多かった(ゴジラ対キングギドラぐらいの迫力)夫婦は35組ほどの仲人をした。

孝則 一番おかしかったんはオヤジ。受賞者リストみたいなのを見た時、こんなにびっくりするかってぐらいおやじが(笑)どこにびっくりしたかっていうと、主演男優賞陣内孝則で、助演男優賞三船敏郎さんだったんですよ「お前が主演男優賞か」天地ひっくり返るぐらい
おば 「自分には芸能人を生む種がある」ちゅうて

バブル崩壊後、木工業や家具屋の倒産が相次ぐ。自殺や心中も。

孝則「よかったあんたが芸能界におって。あんたのところは材料費がいらないもんね。」材料費がいらんてw「実はこの子が生まれた時に私は夢を見まして。この子が映画俳優になる夢を」うそつけ!!横からおふくろが「言いよった、あんたそげんいいよった、本当にいいよった」

血の涙ば流しても離婚はしちゃいかん

母が案じているのは息子のこと

良子 あの人たち国民年金やらかけとるやろか?老後の保障があるやろかと思って。心配ですよ。人気が廃ればこの世早見だ、という歌にもあるじゃないですか。私は心配ですね。死ぬまで心配。親というのは

孝則 ちゃんと厚生年金入っとります

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