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人生案内メモ、文字起こし、感想。

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ズムサタ とんでも自分史 歴史的著名人との思い出 太宰治 山下清 /又吉直樹

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太宰治

畑田信子さん(86)

※2016.10.1ご出演:太宰先生ですか?ずっとウチにいましたから。人間失格の第三の手記が書けなくて、マスコミに追われて。たまたま私は叔父の家にお世話になってたんですけど、奥の部屋が空いていたので是非そこを貸してくださいと。(書き上げるまでの二週間同居)
ー(写真では)いつも悩ましい感じで
朗らかな感じで。

人柄

畑田:あれ(火花)だけ読んだの。それまであなたを知らなかったの(笑)
又吉:ご挨拶した時に「又吉さんのファンじゃないから何も知らないけど」はっきりおっしゃいました(笑)初めてお会いしたときは、どういう印象でした?
畑田:初めは暗いかなと思ったけど、話してるとなかなか面白いのね。朗らかでさ、普通のおじさんですよ。
又吉:どういう話されたんですか?
畑田:信ちゃん、どういう人のお嫁さんになりたい?17やそこらで頭にないじゃないですか「間違ってもね、画家と作家のお嫁さんにはならないほうがいいですよ」
又吉:人間失格の主人公も画家を志している
畑田:いかに奥さんを苦労させてたかなと、私思ったんですよ

「頭に浮かべるイメージが変わってくる。貴重な証言」東大の安藤教授。

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

人間失格が完成した部屋

又吉:朝起きて朝食を取ったあとに執筆
安村 資料とかも持ち込んでなかったですか
畑田:あんまりなかったですね。資料やらは
又吉:本当に必要最低限のものを
畑田:みたいですね。机とお布団、それだけですよ。

声は低いのか高いのか

又吉:太宰さんは早口でした?
畑田:早口じゃない。おっとりしていましたよ。
又吉:ゆっくりお話される?
畑田:ゆっくりね、静かにね
又吉:訛りみたいなのは?
畑田:ないですよ。低めですね。

※この中だと石坂浩二が近いかも。トヨエツも映画で演じている。畑田さんの話だと又吉直樹に近い
太宰治 - 太宰治(に相当する人物)を演じた俳優 - Weblio辞書

畑田 あの嬉しそうな顔は忘れられないわね「1ヶ月後にまた来るから」おっしゃって帰ったんだから

人間失格を書き上げた時の様子

安村 二週間過ごした時と出て行くとき、なにか表情に変化はみられましたか?
畑田 嬉しそうでしたね。書き上げたっていう喜びがあったんじゃないかしら。「信ちゃんできたよ、できたよ!」本当に喜んでらした。
又吉 最後お別れするときにお話とかされました?
畑田 居候先がすごく気に入ったということはおっしゃってました。「また来るからねぇ!」大先生が振り返って手を振って。また来るからって意味でしょ。その姿が忘れられない。
又吉 人間失格、太宰ファンの中でもその頃は満身創痍、朦朧とした中で書いたんじゃないかって人も多くて。僕何回も読んでると、そんなことないんじゃないかって思ってたので「また来るからね」おっしゃったというのは「また書こう」と思ったのでは。
畑田 また来ようと

山下清

弥生軒代表 植崎和基さん(58)

1968年。僕が見たのは坊主頭で、テレビの山下清そのものだったですね。近所に来たから、うちのおばあちゃんに挨拶に来たと思います。実は山下画伯は、5年間ぐらいうちに寝泊まりしながら仕事をしていた。(1941~46年、無名の頃、弥生軒で住み込みで働いていた)父親は同世代だったので、仲良くしていたみたいですね。毎晩画伯が、はがきサイズの絵を描い「晃さんどう思いますか?」って、持ってくるらしいんですよ。「清さん、随分綺麗に描けてるね。素敵だよ」「じゃあ差し上げます」毎晩置いて。父親は絵心ないんで毎晩捨ててた。もったいない。「そうなんだよ~とっとけばよかったんだよ~」

ー5年間ずっと山下清さんはいらっしゃったんですか?
「星がきれい」と言ったら、画伯は次の日旅立つ。清、明日いなくなるよって(笑)

※日テレで流れた映像は雁之助はんバージョンやな。のちに直筆の絵をプレゼント。お弁当の包み紙のデザインに採用。(現在お弁当は取り扱っていない)

ダグラス・マッカーサー

斎藤力夫さん(91)

昭和22年かな、GHQに勤めていたのね。やっぱり、怖いんじゃなくて、人情味があるような優しい人でしたね。
ー高圧的な感じかと
ないです、ないです。ものすごく親切。将官は全員紳士的。実物見たからね。

横山大観

羽生寿夫さん(78)

1955年。中学卒業後、谷中の障子屋さんに弟子入り。修業時代に何回も見ています。経師屋(きょうじや)だからね。大観の自宅の障子貼りとかふすまはりとか。雲の上の偉人だからね。届かない。穏やかな人でしたね。私は丁稚小僧だからあんまり話さなかったけどね。声をかけられたことはあります「がんばってやって」「仕事頑張って」しょっちゅう出入りしていたから、顔は知ってる。自分のこれからの人生に影響するかなと思って。
ー影響ありました?
それがね、ないんですよ(笑)なんでだろうねえ。努力が足りないのかな。平凡で終わっちゃった。

白洲次郎

矢島一代さん(84)

そば処 よし田の天ぷらそばが好きだった。日本で初めてジーンズを履いたと呼ばれる。
GHQ本部が近かったから、そちらのお帰りなんかにみえていただいたんじゃないかと思いますけど。かっこいい。背の高さといい、お顔といい、センスの良さといい、あれ以上の方はいらっしゃいませんよね。ゴキゲンな時には「お~娘よ」と言ってハグしてくださいましたね。なんていい匂いのするおじさんなんだろう。その頃日本の男性で、オーデコロンしている方いないですもの。私その頃女学生でしたけど、なんて素敵なオジサマなんだろうって思いましたね(笑)コート着てらっしゃる時はボタン外してオーバーコートごと。んふふ。ポーっとなっちゃいましたよ。唯一の自慢でございますね。

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

いまジェーン・スー「生きるとか死ぬとか父親とか」読んでる最中。元気な時に聞いたことをあまり思い出せない自分にイライラしつつ、こういう話を聞くとうらやましい。