世間の目が気になる
ラッセル
世評とは 世評に無関心な人よりも、世評を怖がっている人に対して暴虐である。
突飛な意見を持つことを恐れるな。今日認められてる意見は、みな、かつては突飛だったのだ。
夏休みに一読を。小川仁志先生の本
竹山 気が付いたらマジョリティに変わってるんですよね萬田久子
高田 お嬢ちゃんは未婚の母の時代もあったわけだから
萬田 まぁね、結果的に未婚の母っていう。シングルマザーって言葉は当時なかったんですけどね。あたしとしては普通に生きてたんですよ。たまたまそうだった。
高田 苦労だとは思うのよ
萬田 苦労だと思ったらやってないですよ。NY行って出産して、愛する人の子供を育てる。自然な。「思い切りましたね」って言われるんですけど、思い切ってもいないんですよね。本人はね。一番びっくりしたのは、フォーカスとかフライデーが盛んな時期だったので。日本の人が向こうに派遣されていたんですよ。
竹山 嫌だなって気持ちはあったんですか。自分は一生懸命子供を育てているけど、周りがとか
萬田 全然ぜんぜん。自分の中では女優やめてましたから。今のあたしには、出産でしたね。後なんて考えてなかった。そのかわり帰ってくるときには覚悟がいりました。大変だよってマネージャーに言われてましたから。それでも帰る?って。帰ってからは「これだけ日本の人はいろんなこと言うんだ」と思いましたけどね。母親なんかは泣いてたって。後から聞きました。人生オセロだなって思った「最後に白取れば全部白に変わるんだ」って。なんとなく、世間はこうやってみてるんだ、と。無関心なのね、私はきっと。ラッセルが生きていたらなんて言うだろう。
高田 みんな好き放題やってくれって(笑)
死が怖い
愛犬
※なぜか今日のゲストは犬を飼っている。
竹山 どっかで犬は犬と思ってないと。現実だからしょうがないんですよ。
僧侶だが死が怖い(抜粋)
20代 人生案内
仕事柄、人の死に関わるのですが、そのことで悩んでいます。特に葬式で息が詰まりそうです。私の目の前のご遺体は、数日前まで確かに息をしていたのです。この目の前に広がる死という現実。苦しみを取り除く側の僧侶が、死に対し恐怖を抱いているのです。「死」を「無に返る」ととらえ、ただ恐ろしいです。仏教で輪廻転生などと言いますが、心の奥底で否定している自分に失望します。高齢の方が「あと3年生きられれば満足」と話すのを聞き「短すぎる。ずっと生きたくないのだろうか」と頭の中が疑問符だらけになりました。死を恐れおののく僧侶をどう思いますか....
そりゃ生きたいけど
いま(2018.7.6 17時現在)大雨特別警報が出てる地域の近県なので避難勧告に恐れおののいてる。そりゃ生きたい。「男たちのメロディー」(SHOGUN 1979年)の歌詞に「運が悪けりゃ死ぬだけさ」とある。時折脳内でしつこく再生される。死について考え始めると怖い。それはそうときょう麻原彰晃が死刑になったそうだな。さっき知ったぞ。
聴いて落ち着こう
https://youtu.be/s3hnOg5zOb0
増田明美さんの回答(抜粋)
不破博と鈴木真砂女の句
最初はからかわれているのかと思いました。でも、あなたは正直な人で、真摯に仕事に向き合っているからこそ、死が怖いのでしょうね。しかもまだお若い。
私も若い頃<死とはただ居なくなること秋ざくら>(不破博)という句に出会い、何とも言えない寂しさで眠れなくなりました。電池のように終わりがあるから、精一杯生きなきゃとも思いました。電池が切れたときのことや残量ばかり気にしていては楽しくないですもの。
あなただからこそ、みなさんに寄り添いながら「どう生きるか」を説くことが出来るのだと思います。生きることの延長に死はあるんですからね。
死ぬことを忘れてをりし心太鈴木真砂女さんの句です。心太のようにツルンといきましょう。
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