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【人生案内】父の「延命無用」に添えず 大日向雅美先生の回答

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延命治療を希望しない父の意に添えず(抜粋)

今も涙が出る60代

父は今春亡くなりました。姉の家で、姉から献身的な介護を受けていました。半年前頃から食欲がなくなり、病院に勧められるままに、点滴で静脈から栄養を入れました。父は「延命治療無用のこと」と表書きした封書を残し、姉もそれを承知していたはずなのに。
私は抗議しましたが、姉は父が元気になると病院から説明されたようで、延命治療ではないと話します。点滴を嫌がって抜き、拘束を受ける父を見るのが辛くてたまりませんでした。私の娘たちも憤り、長女が家に引き取る提案もしましたが、受け入れられませんでした。今でも心がざわざわしています.....

うちの父とほぼ同じ状況なので

書いてみる。

>病院に勧められるままに、点滴で静脈から栄養を入れました。
>点滴を嫌がって抜き、拘束を受ける父を見るのが辛くてたまりませんでした。

嫌がって抜くようになったので施設から病院へ移って1年が過ぎた。病院が「容態が悪くなった時に手術をしない」旨、同意書にサインはした。もう言葉がしゃべれないので、本人が延命治療をどのように思っているかはわからない。今となっては点滴を外す力もないので、拘束は片手だけになった。膝から下が硬直して伸ばせない。何ヶ月もリハビリをしている姿を見ていない。発熱と解熱を繰り返すようになってひと月が過ぎた。点滴(抗生剤を含む)はいつまで続くのだろう。あれを延命治療と呼ぶならもう外してもらっても構わないと自分は思うのだが、母と妹はもう少し父に生きていて欲しいようである。いやもう苦しまずに、なんとか....。ここまで頑張ったんだからもういいと思うのだ。

ただ目を開けているだけで、家に連れ帰るなんて不可能なので、父の愛読書、筆記用具、持ち物を少しずつ処分しようと提案したら、母も妹も猛反対した。なんでや。実家に帰るたびに積み重ねられた父のものを見るのが辛い。だいいち今日のような地震が(2018.618 大阪震度6弱/小学生を含む3人死亡)起きた時に、モノの下敷きになってしまうのは母なのに。自分だけが現実的すぎて悩む。

まだ生きているのか、そして生き抜くとは、生きるとは、生かしておくとは。
延命治療とは - コトバンク
西城秀樹のご家族だって「休ませてあげて」と延命をしない決断をしたのに。
【西城秀樹さん葬儀】フリーアナウンサー、徳光和夫さん 「『パパ休ませてあげて』といった子供たち…立派に育った」 - 産経ニュース

大日向雅美先生の回答(抜粋)

お父様は幸せだったのでは

お父様の最期を意に沿った形で見送れなかったと悩んでおられるのですね。
その反面、お姉様と治療の方向性で意見を戦わせているあなた方の様子を想像して、なんと父親思いの姉妹かと思いました。あなたは枯れるように安らかに最期を迎えさせたかった。一方、お姉様が治療の継続を決められたのは、もう一度元気になってくれると信じたからです。
お父様はご自分の最期をめぐって意見は違ったとしても、こんなにも真剣に思ってくれる2人の娘さんを間近に見ることができたのです。さらにあなたの長女が、お祖父様を引き取ってお世話をしたいとまで言ってくれたのです。
(中略)お姉様に、まず感謝の言葉を伝えてみませんか。あなたの抗議を受けたお姉様も辛い思いで過ごしているはずです。長い人生のお勤めを終えられたお父様の事を思って、姉妹仲良くすることが何よりの親孝行かと思います。

我々、仲は悪くないんだけど意見が違うんだなあ。