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ファミリーヒストリー 桂歌丸 遊郭に生まれて 祖母・タネの人生

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祖母・加藤タネ

屋号は紙宗(カミソ)

どういうわけで戦前の、ああいう商売に入ったのか、まず尋ねて怒られるんじゃないかと。おっかない人でしたから子供が近寄っても来ないような、怖いような、男勝り。

神奈川県三浦郡豊島村へ

明治12年生まれ。裕福な商家の長女。16歳の時、神奈川県三浦郡(現在の横須賀市)に分家。

明治の中頃から柏木田遊郭であった。山口瞳の小説「血族」の舞台。

軍艦の入港数が少し多いと此不夜城は更に一大歌吹場裡となる...

戸籍があったところは遊郭・若葉楼
明治以降、家が貧しかった人が芸妓などをやるならまだしもそれなりに潤っている家の長女がいきなり芸妓や娼妓になるのは考えにくい。例えばお手伝いをされていたとか、経理だとかをされていたというのは考えられる。

28歳で椎名貞次郎(歌丸の祖父)と知り合い結婚。明治40年、貞雄(歌丸の父)誕生。大正9年、浅草区江戸町2丁目で引手茶屋を経営。一帯には吉原遊廓があった

【引手茶屋】
高級な遊女と遊ぶ際、直接遊女屋に登楼できずこの茶屋を必ず経由して遊ばなければならないルールがあった。客は財布を引手茶屋に預け、支払う

昭和28年没。四日市から、おいの加藤宗一郎さんが参列

椎名家

ルーツは豪族。千葉市には椎名という名前が数多く残っている。北条家に仕えていたが、1590年豊臣秀吉による小田原征伐で滅ぼされ農民になる。

茨城県筑波郡(現在のつくばみらい市)

曽祖父は大正時代まで煎餅屋をやっていた。板橋不動尊の周りでは古くから参拝客に売られていた。※着物の家紋は椎名家と同じ

貞次郎が42歳の時結婚。

かたくてしょっぱいのが私の信念。私はせんべい屋のせがれだったんですね

関東大震災で引手茶屋全壊

真金町で周旋業を始める
周旋業...貧しい娘たちを遊郭に紹介する仕事。
「富士楼」を始める。

昭和8年、貞次郎67歳で急死。(タネ53歳の時)

番頭・笛木一二さんは高価な着物を身にまとい呼び込みをしていた。

伊藤ふく(歌丸の母)

千葉県市原市出身

実家は1万坪を持つ大地主。大正8年生まれ。昭和9年・長男貞雄28歳の時、伊藤ふくと結婚

昭和11年、歌丸(椎名巌)誕生。昭和14年、貞雄32歳で結核のため死去。ふくは遊郭を手伝っていたが、戦況悪化。

歌丸9歳の時、ふくの実家がある市原へ疎開。横浜大空襲で富士楼は消失したものの、すぐに再開。タネとふくはしきたりの違いなどで関係が修復不可能に。タネは母と息子が一緒に暮らすことを許さなかったため、ふくが家を飛び出す。

母のいない寂しさを紛らわせてくれたのが、ラジオから流れてくる落語だった。中学生の時、当時二ツ目だった春風亭柳昇をみて、落語家になることを決意したが、一旦はタネに反対される。やがてタネの紹介で古今亭今輔に弟子入り。今児を名乗る。
桂米丸 (4代目) - Wikipedia

残念だったのは、私の高座を見たり聴いたりしないうちに
目をつぶっちゃったの

富士子さんと結婚したの22歳の時か。売れない頃なので化粧品のセールスやってたんだ

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追記

2018.7.2 肺炎で死去

2012年、落語を聞きに行った。歌丸師匠は体にボルト埋めてやりますとか言ってたっけ