博多の笑い
博多にわか
阿川:博多の独特漫才というスタイルは
大吉:吉本の方針で決められました。じゃないと福岡に
吉本がある意味がないから
お前たちは博多弁で漫才をやれと言われたんですけど。
何より難しかったのは、ツッコミっていう言葉もなければ
文化もないんですよ
華丸:なんでやねん、って言わないんですよ。福岡の人。
阿川:福岡の人の会話の中に。何言ってんの、はあっても
大吉:言葉がないんで
華丸:そんなこと誰もしてなかったし、面白いこと言う人はいるんです。
面白いこと言いました、ハハハこの人は面白い。で終わりです(笑)
大吉:研究したんですけど、博多にわかっていう郷土芸能がある
お面をつけて、ちょっとした謎かけ、ダジャレ、かけことばをやる
博多どんたくは街中にステージを組まれて
そこでみんな、にわかを披露する。
2人で出てきた場合とか、普通なら突っ込んだり
何かあると思うんですけど、こっちがボケたあと
もうひとりはお面つけたまんま笑って拍手するんです
それで二人でステージ一周して回って
華丸:決してそれ全然面白くないんですよ(笑)申し訳ないですけど
僕らから見ればですよ。
大吉:漫才としてやらしてもらってますけど
僕らほとんど突っ込まないですよ
華丸:ツッこむというより、正す感じ。「面白くないよ」(笑)
大吉:もしくは落ち着かせる(笑)「もう一回考え直して」
記憶の中で今もきらめく曲
長渕剛/西新宿の親父の唄
僕らがデビューしたとき、発売されたアルバムの中に入っている。
大吉:僕はこの曲聴いてこの世界へ入りました。
西新宿の親父の唄 - YouTube
北の国から '92 巣立ち_やるなら今しかねえ_長渕剛&菅原文太「誠意って何かね」 - YouTube
福岡吉本
大吉:福岡に吉本が来て、オーディション受けないかって
応募総数があまりなかったんですよ
テレビ局の方も大学のお笑いサークルをあたって
華丸:福岡の人は芸人になろうなんて思いつきもしないですよ
大吉:だから数も集まんなかった。
華丸:35組。オーディションがです
大吉:応募総数が35組、とりあえず8組の中に入って
そこで優勝か準優勝すれば入れる。黙々とけん玉するおじいちゃんとか
ちょっとハゲヅラ被ったOLとか
僕らが言うのもなんですけど話になんないメンバー(笑)
華丸:消去法で僕ら選ばれたんです
大吉:結局優勝はできなくて。僕らも8組中4位か5位
何もなかったんですけど、事務所オープンしたものの
人が足らんからあいつら呼んで来いと。補欠合格みたいな感じ
華丸:テスト生
大吉:福岡で吉本でお笑いって、売れるわけねえなあとか
お笑いやってみたいいけどちょっと度胸がない
華丸:何もかも捨ててまで
大吉:葛藤してる時にさっきの歌。あの歌って最後3分間
華丸:やるなら今しかねえ~...それしかないです、歌詞が
大吉:ずっと夜中に聞いてると「あ、今しかねえ」(笑)なっちゃう
華丸:洗脳ですね。
阿川:入ってみてどうでしたか
華丸:兄さん、一期生がいない。お手本も何にもないんですよ
阿川:指導者はいないんですか
華丸:地元の社員さんです
阿川:だったらそれなりのノウハウというか
大吉:さんまさんのマネージャーをやられてる方だったので
基準がさんまさん。
「さんまさんならこうするのに、なんでできへんのや」
華丸:出来るわけなかでしょ(笑)二十歳そこそこで
大吉:博多の学生が
ボキャブラ天国
阿川:東京に出てこようという気持ちはなかった?
大吉:当時ボキャブラ天国がブームで、実際話も来たんですね
「特別に枠をあげるから出ないか」みたいな
そんな話も平気で蹴りましたもんね(笑)
阿川:なんで?
大吉:その発想がないんですよ
全国ネットのテレビで見る人と僕らは全く別もんて感覚でしたから
行く必要がなんであるんだって
阿川:ここで十分幸せじゃないかと
大吉:そうそうそう
華丸:福岡にもあるばいってずーっと言ってたね
東京ドームと言えば、いや、福岡ドーム
東京タワーと言えば 福岡タワー。新宿、いや、今宿。
地元の人にはそれで十分喜んでもらえてたんで
それでいいと思ってたもんね
子供の頃
大吉の父
阿川:二人共、氏素性はお坊ちゃんて感じ
大吉:うちの親父はほとんど働かなかった。
一番長くやってたのはトラックドライバー。
喧嘩したりとか嫌になったりでやめて。
決定的だったのは84年のロス五輪。
あんとき全く仕事に行かなくて。朝から晩までずっとオリンピック。
カールルイスはええなと言いながら、開会式から閉会式まで全部見て
日雇いにもいかなかった。カールルイスが燃え尽き症候群なのわかります
なんで福岡県でテレビ見て応援してんだ
お父さんは燃え尽き症候群て意味わかんないですよ
僕は日本のニートのさきがけだと思ってます
阿川:お父さん嫌いだったんですか
大吉:正直言うと嫌いでしたね。お酒飲むと人が変わる人だったので
阿川:お姉さんと、どういう子供だったんですか
大吉:顔色しか伺わない子供になりましたね
今こういう話題しとけば怒りださないだろうとか
いずれこれ(酒)があるとこうなるから一回隠しとこうとか
華丸
阿川:華丸さんは、おぼっちゃま
華丸:おぼっちゃまというか、一応建設会社の社長で
大吉:土建屋さんのせがれ。夕方になるとその日の作業を終えた社員さんが
ワーッと帰ってきて、酔っ払いながらぐしゃぐしゃ可愛がられる
阿川:このつぶらな目で
華丸:ビールのみや、まだ早いか(笑)
そういうおじさんに囲まれてたんで、おじさんには強いですね
お笑い
阿川:グランプリとったの拝見したんですけど、デビューの頃ってやっぱり
立ち位置が。でも今は軸がすごいきれい。どこで学習なさったのかなと
大吉:たぶんですけど、福岡吉本の一期生だったので
何かにつけて一期生で呼ばれるんですよ。その仕事は大阪の吉本の師匠とか
そういう方たちのイベントの前座に必ず行ってた。
師匠たちの漫才をずっと袖で見てた。多分そこだと思いますね
中田カウスボタン師匠、オール阪神巨人師匠、Wヤング師匠、坂田利夫師匠
阿川:だからか
大吉:一番営業に行ったのは、大木こだまひびき師匠ですね
阿川:個人的に言われたことはあるんですか
大吉:何個もあります。それこそ阿川さんがおっしゃったみたいに
「フラフラすんな」とか、巨人師匠に「ちゃんとせい」
何年後かに「まだフラフラしてる」教えてもらいました
上京を決意したのは35歳の時
「きたぞー、東京のタレントさんが」(笑)
24時間テレビの福岡会場に僕らずっといたんです。ずっと盛り上げてたのに
中継が入ると「どけー」言われて(笑)
ずっと盛り上げてたのに、うるさい、どけ!って。
エンタの神様のオーディション行ったらなんか様子が違う
顔にペイントしてる人とか、なんか裸の人とか(笑)