久米明 93歳
生い立ち
1924年、大正13年生まれ。
軍人として、仙台に派遣。本土防衛の第一線に。
仙台空襲。当時でもビルが建ってて、青葉城なんて眺められなかった。ところが空襲を受けて仙台駅に立ったら大通りの先に青葉城がくっきりと見えるんです。
防空壕は作ってある。よく見ましたらば人が転がってる。防空壕は直撃弾を受けてるわけです。子供を抱いたまんま丸焦げの像もあり(人の命を)守れなかった
爆風でもって上が飛ばされて、そこに火の手が行きましたらばみなさん飛ばされて、戦争で犠牲になっている方々を拝んだのは初めてだった
芝居との出会い
終戦後2ヶ月後大学に戻る
久米:生きていけるかなという不安、一方で新しい時代、わくわくするような思いもあったり。私はどっちつかずでなんにも手につかずフラフラしてました。荒波の中をフラフラ泳いでいたのが現実ですね
小野:久米青年モラトリアムだったのかなって気が
久米:ああ、そう。ほんと自分の心にピタっと来るものがあるはずだと思い込んでいたのね。何かを探していた、その時に芝居ってものに出会ったんですよ。銀座全く丸焼けで、ビルは骨組みが残っているだけ。中は焼けてがらんどう。そんな事を忘れる以上に芝居は面白い。これだ、こんなに直接的に心に響くものがある。これをやるんだ
見るだけでは気持ちがおさまらす、山本安英に指導を仰ぐものの不器用で苦労した
山本先生から「普段はそんなことないんですけど、舞台に立つと体が硬くなりますね。緊張を解いて(ほどいて)ください。久米ちゃんは棒飲んで歩いてるなあ」
言われて。歩けないのよ。舞台で歩くことができないの。私は本当にズブの素人。
朗読の奥深さも教わった
調子がついてます、久米調みたいな。そういうものに安心して読んじゃってるから、始めから終わりまで全部同じ。
瞬間瞬間に生きたものが聴いてる人の耳に飛び込まない。一番肝心なのは、相手の目に話すんですよ。生き生きと作品を体現する、これが大事なんじゃないか
すばらしい世界旅行
相当ゴリラが迫ってきた。
みんな逃げてカメラマン一人取り残されて、ちょうどいいアングルにボスゴリラが来たぞ。彼はすっかり撮影に熱中してるわけです。ところが後ろをガードするべき、ライフルを持った警官もスタッフも逃げちゃったんで、残るは彼一人。全然気がつかなくて「いやあいい画が取れた」って後ろを見たら誰もいない。危ういところだったんです
彼らから聞く話は生々しい。生き生きした話じゃないですか。自分の目も違いますからね。ビビッドで。客観的に冷たく読むのとは違いますもんね
昔々、日曜の午後7時半はすばらしい世界旅行を見ると決めていた。今でも記憶に残る、礼儀正しい終わり方。終りよければすべてよし
「家族に乾杯」22年目。
大事にしていることは、表現。中身、隠しているものを表に出して見せる。言葉はいろんな角度で見られる多面的な内容。言葉の裏にある気持ちを伝えるものだ。
意味だけではない二重性をひっくるめて相手にぶちまけること
なにをしゃべるかっていうよりも、なぜしゃべるかってこと。
禅問答のようですけど、何故の問題を掘り下げて、なぜしゃべるかをいえば、非常に内容のあるしゃべりができるんじゃないか。
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- 発売日: 2007/08/08
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- アーティスト:五大路子,久米明,市原悦子,市原悦子
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