※1995年放送。状況も思想も、もちろん当時のもの。見ているのも記事にしているのも2017年。羽仁未央は2014年没。享年50歳。
香港にやって来た一人の日本人女性。羽仁未央。彼女はここに住み、カメラを通して香港の今を撮り続けている。彼女が見据えるテーマは、1997年、香港返還。
羽仁未央
香港に嫁に来た
私は香港に嫁に来たんです。
香港人に嫁に来たとかではなくて、香港て街に嫁に来たんだと思ってるから、結婚して何年も住めば、やっぱり夫の悪いところも見えてくる。あんまり何年も暮らしてるとやっぱり不愉快だからなるべく悪いところは見ないで、いいとこだけ愛したい。やっぱりこのひとと結婚して良かった~と思えば、一生幸せな結婚なんじゃないか。
香港は借り物の時間、借り物の場所と言われた。そんな香港に以前から住んで、働いてきた女性たち。彼女たちを、私自身が訪ねてみたいと思います。
日本では冬眠しそう
不思議だなと思うのは、私は日本の中で冬眠しそうだなと思った時に日本では5年住む場所がなかったんです。
すごい小さい時、5つまでは住んでて一番長い時間だったから、5年おんなじ所に住むことができないのかなと思ったんですよ。香港では8年。
生まれたのは東京。父羽仁進は映画監督。父の仕事の関係で、5歳の時パリに移住。その後も、イタリア・アフリカなど各国を廻った。
動物の映像を撮り続ける父に連れられ、10歳からの5年間は、日本とアフリカを半年ごとに往復する生活だったという。
しかし彼女にとって、日本は必ずしも住みやすい国ではなかった。
20歳を越えたあたり、80年代になった頃から東京は落ち着いてきちゃって、東京はこうだよという器ができちゃった頃から、なんとなく冬眠してしまいそうな気がして。どこかに行きたいな。その頃は常に夢見てばっかりだったんだけれども、その時ちょうど香港映画っていうのが変わった。80年代の初めにテレビ局が潰れて、ワッと映画監督たちが来て、それが香港映画を変えたと言われるんですけれども、その映画を日本で見て、ものすごく無茶苦茶な映画なの。
文法を教えられてもいたし見てもいたのが、全然そうじゃなくて、そんなこともあってもいいのかっていう映画で、それを見た瞬間「こんな無茶苦茶な映画をもっと観よう」となって。
香港に遊びに来て、そしたら映画見なくても街自体むちゃくちゃだったんで、ここに住もう!となって。でもそう簡単には住めるわけでもなくて、日本でやっていた仕事をすぐに整理もつけられなくて。
初めて思ったのが85年だったんだけれども、87年からやっと香港に住めるようになった。
当初は映画のシナリオを書いていた。
ドキュメンタリーを撮る理由
撮ってる一瞬一瞬てのが、自分が想像するよりもっと素晴らしいものを見る一瞬。この人にくっついてったら何があるだろうとは思うけども、想像した通りになっちゃったらドキュメンタリーではないわけだし
普段こうやって知らない人に会っても、知ってる人とご飯食べてもしゃべっても、素晴らしい一瞬って見るじゃないですか。
笑ったり泣いたり。それは記録できないわけですよね。それをあの時、あの人笑った顔が素敵なんだよねと話をしたり、知らない人に見せていかれるのがすごく楽しい。
ただこれだけ長い間、愛情もってずっとおんなじこととっていきたい。ずっと香港人撮っていきたいわけですから、他に行ったら巡り会わなかったかもしれないし、その意味でここに来なかったら巡り会わなかったかもしれないと思います
※速射砲のようにしゃべり続けるので途中でわかんなくなった。喋り方は、お父さんをより早口にしたような。
見えない未来だから香港を追い出される、行かせてもらえないことだけが怖い
- 作者:羽仁 未央
- メディア: 文庫
さいごに
アグネス:今の香港をどう感じてる?
羽仁:今の香港って仰ると、私が来た8年前、87年の頃香港の道を歩いてても、スターベリーに乗っても、人がすごく笑ってるじゃないですか。笑う顔がすごく綺麗だった。もう心から笑ってる感じが好きで、こんなに人が笑ってるならさぞいいところに違いないと思って(笑)それは今でも変わらないんだけど、少し笑いが少なくなっちゃったかな
アグネス:60歳のオバサンだって、ずっと空を見つめてんのね。何かできるんじゃないかと思うし、今度女子学生と話したら、その子もすごい広い視野で見てるんですね。だからまだまだ香港て、成長する余裕がたくさんあると思って。日本の女性と話ができたと思うんですけど羽仁さんも走りみたいなもんですよね。まだそんなにブームになってない時から香港に魅力を感じてきたと思うんですけど
羽仁:みんな、これだけ違う人生を、カメラに向かって話してくれるようになった。今まではカメラに向かうと上手に言えなかったり、上手に言おうとしすぎちゃったり。そうじゃなくて今回は、みんながホントに正直に、自分をそのまま撮ってくださいと。日本女性にとってはすごい変化だなと。取材してて楽しかったアグネス:たくましいドリーマーになってほしい。目をつぶって夢を見る人は、香港では海に当たって落ちちゃうんですよ。香港で夢を見る場合は、坂道登り道転ばずに歩けるように、お互い支えあうような力がなければ、この地ではやっていけない。
羽仁:香港ではたくましくなきゃ生きていけない。タダじゃない
アグネス:チャンスもいっぱい転がってますもんね。タダじゃない
22年後の今、番組で取材した人びとはどうなってるんだろう。
書道の先生は継続中。経済界の若井節子さんは香港と日本の架け橋として功績が認められ、現在も活躍。新井一二三さんは日本の大学の教授に。
羽仁進といえば74年に放送されていた「動物家族」「アフリカの空の下」っていう歌は、長年フィンガー5が歌ってると思ってたが全然違ってた。ナル。ナレーションは石坂浩二。昔はサントラ盤が発売されてた。
動物家族 - Wikipedia
記憶の中の羽仁未央。やりたいことがわからない17歳の人生案内 - 別館.net.amigo
2020.5.10 「羽仁未央 平野レミ」で入ってくる人が多い。別カテゴリのせいかな。本記事には一行もなく