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BSプレミアム 100年インタビュー 小田和正 時は待ってくれない

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降りかかった苦難

98年の自動車事故の後

首の骨がずれ、神経圧迫の重症。

よく助かったなって思うけど。死んじゃっててもおかしくない。
あの時死んでたら、あの曲もこの曲も作ってないなって。
ファンの人達が心配して。とにかく生きていてくれるだけで良かったって
手紙なのかな、いっぱいもらってびっくりした。感動しましたね。身内でもないのに。
そんな風に思ってくれるのだから、喜んでもらわなきゃと
そこで初めてそういう風な考え方になった。
お客さんの近くに物理的に近づいていくと、本当に喜んでくれる。
花道作って歌いながら歩いてったら、本当に嬉しそうな顔してるんだ。
どっかから図々しくなったのね。昔だったら照れくさいし恥ずかしいし。
それが笑顔なんか作っちゃってね。触ってきますね。できるだけ腹立てないように(笑)
やっぱシャイだから、手を振って歌うなんてありえないんだけど
どうしてそんなことができるんだろって
「生きていてくれるだけで良かった」って言葉はすごい(印象に)残ったね。

ご当地紀行

境地ね。境地と言って欲しいね。
ご当地紀行は、そもそも、そのライブのために自分はいるんだという証を残したい
共有したいなと。みんなと
サンキュートーキョーなんて、俺は言わないから。
外タレが言うとみんな喜ぶんじゃないか
ほんとにみんなが住んでそうな街角、喫茶店にいたら
「あぁ来てくれたんだ」と思ってくれる。

阿部渉アナウンサーと母校のグラウンドへ。

阿部:キャプテンだったんですよね

部員が8人になっちゃって。悲しかったですね。
レフトだったかな。当時覚えた英語の歌を思い出しながら鼻歌で
のべつ歌ってたのかもしれない(笑)
ああ風が吹いてんなって。大きく聞こえたりさわさわ感じたり
風は好きですね。さあ、歌詞書こうと思うと風が吹いてくる。
今美しいってのもあるんだけど、前にもこういう空見たんだろうなって思う
あの日と今とは違うんだっていう。
雲が浮かんでるといいなってつくづく思うんだよね。

阿部:タイトルに「風」ってつく曲、少なくとも8つありますよね。

あ、そう。やだね、数えんなよ(笑)

※なんだっけ。風に吹かれて、風の坂道、風と君を待つだけ、やさしい風が吹いたら
 風の街、風のように

オフコースの原点

プロデビューまで

ゴスペルをアカペラで歌ったのよ。かっこよかったんだ
来年あそこのステージに立とうと本気で決めた。で、誘って
ブラザースフォアのコピーを5曲ぐらいやって。大成功ですよ
ごく近い同級生たちは応援してくれたけど、勉強してる人は理解できなかったんじゃない。
あいつら何やってんだって。
もう好きだって事だけだよね。歌ってハモった瞬間すごい楽しいから。
勉強の時間削ってでもやりたい。それぐらい音楽は楽しかったね。
聖光祭楽しかったから、またやろうねって
夏休み帰ってきたときに集中して練習して、どっかのホールでやりましたね。
楽しくバンドをやってきたけど、プロになる気はさらさらないから
バンドとしてうまいって言われたから、コンテストに出ようって
全国大会まで出て。予定通り来た。
赤い鳥にコテンパンにやられて2位だったの
そしたらすっきりしなくなって。2位で辞めるのかって
あそこに負けたまま辞めるのかと。ズルズル
いつどこでプロになったかって、はっきりしたものがわからないんだよ。

デビュー後の苦難

音楽を離れることはできないなと思った
でも建築は離れられるなって。そこまで一生懸命やってなかったってのもある。
音楽は捨てられないという。消去法みたいな感じ。
とんでもないこといっぱいあったね
苦節何年という気持ちはないから、もっとちゃんとできないとウケないって
全ては自分のせいだって。

帰れって言われるのはファッションだったから。
中津川でも拓郎とかね

かぐや姫のバーターで行くこと多かったけど
お客さんはかぐや姫早く見たいから、オフコースは帰れと思ってる。
最後の曲です、っていうとワーッと拍手が来たけど
それは「(曲が最後で)よかった」という(意味の)拍手。
これは親には見せられないなと。親には言えないなと。

5人のオフコース

ヒットすること

仙台か何かのコンサート終わって
タクシーのったら、ラジオから「只今ヒット中の”さよなら”」。
ヒットするとはこういうことかって。
これヒットしたから次もしなきゃって、みんなが陥るところには陥ってない。
自分が納得してりゃ問題ない。
おれはね、俺と同じ感覚を持ってる人と繋がりたい
そこにいたんだ、そうだよね、それでいいと
同じ感覚を持ってないと繋がらない
あるひとには女々しくしか聞こえないものが
ある人には懐かしいフレーズとして伝わる。それを重ねていく。

オフコースの終焉

鈴木康博の脱退

これで俺は辞めるんだなと思ったね
ヤスがいなくなって、音楽ができるイメージはなかったから
武道館が終われば音楽も終わりだと。無念な感じ。
いつまでも仲良くって理想だけど、ないでしょ。
音楽だからね。妥協点を見つけるわけにはいかないのが音楽。
どこかでみんなが、ハッキリ同じ方向向いていかないと。

Three and two(紙ジャケット仕様)

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1982・6・30武道館コンサート [Blu-ray]

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ラブストーリーは突然に

みんなびっくりして。
ひとりになってから、ほんの2年ぐらいの出来事だったのかな
このヒットに足元すくわれちゃいけないなって
スタッフに「謙虚に、まぐれ当たりみたいな気持ちで臨もう」と。

いろんな時代があってね
楽器を持たずに作ろうと。コードを弾くとすぐメロディが出来ちゃうからね。
コードに流されないで。
テープレコーダー回してメロディいっぱい作ってっての、やったことない
逃がした魚はとっても大きいと思っちゃうのね。必ず譜面から。
9割9分、歌詞は後から。
音楽に乗った言葉としては、曖昧な言葉でもとっても強くなる。
変な珍しい言葉よりは、ありふれた言葉の方が強い。

”あの日あの時あの場所で”
三連符に合わされないと、フルに発揮できないなと。
俺はあの曲を別に分析するわけじゃないけど、2番で
「誰かが甘く誘う言葉に心揺れたりしないで」自分で手ぇ叩いちゃって。
三連符にピタリ合うようになってたんだな。

ライブで無理して歌ってるけど、ちょっと調子悪かったりすると
高いなぁこれ、歌えるんかいって思ってるけど
本番はスポーツと同じでアドレナリンが出るんだよ。
みなオリジナルと同じ感じで聞きたいから、その期待は裏切りたくない。
声が出なくなったら、潔く身を引きたい気持ちが強い。

映画製作

いつかどこかで

※この時もBSでインタビューやったよね?藤原礼実って今どうしてんだろ
VHSとレーザーディスクしかないん。

津川さんに演技指導とかどの面下げてやるんだって
自分なりにいろいろ準備はしたんだけど、映画のスタッフはなかなか個性の強い、
思い入れの強い人たちが骨身を削って付き合ってくれる。
「こいつなんもねえな」って思われただろうな。

できたあとも色々散々に言われて。多くの方たちにいろいろ言っていただいて
言い訳できる材料はないわけで。
自分の人格を全く否定された。お前は何もんだって。
それを早く挽回しなきゃって思ったね。どこが間違ってたのかと。

ドキュメンタリー「キャディー」

自分をさらけ出す

青木さんのキャディーをやったのよ。それを番組にして放映したんだ
長いことやってきた中で一番反響がでかかったね。なんだょ俺キャディーかよって。

※夜中に放送してたの覚えてる(田舎だけか)

街歩いてても知らない人が驚く程話しかけてきた。
俺マジで青木さんに怒られたりするの。見る人はこういうのが面白いんだ。
臨場感のあるドタバタがお客さんには届くんだって。
失敗を見せることには抵抗がないんだ。俺がドジってると喜ぶっていうか。
オフコースの時は一切出さないでかっこつけて。
スカしちゃってる感じのとこで闘ってたんだろね。
「これが僕の等身大です」と見せることが、パフォーマンスだったんだろうね。

アジアツアー台北公演(2005)

台湾のお客さんは親日が多く
一生懸命中国語を覚えて覚えて。1曲だけ北京語に訳してもらって。
俺が歌えなくなっても歌ってくれて
数ある自分のライブの中でもベストいくつかに入るぐらい感動しましたね。
(音楽は国境を)基本的には超えないよね
何かが加味された時、何かが繋がったっていう時に、はるかに超えてくね。

東日本大震災

その日が来るまで

揺れましたね。すごい揺れたね。東京で。ただ事じゃないなと。
とても...歌を歌う、歌なんか歌ってる場合じゃないだろ
音楽なんか何の助けにもならないと
平時にしか音楽なんか役に立たない、そういうレベルのもんなのかって気持ちだったですね。
でも力になれるならと。だんだん思っていったという。
「その日が来るまで」書いて
お前が泣いてる場合じゃないと言い聞かせてんだけど、どうにもね
それが申し訳ないという気持ちで歌いましたね。

できることで喜んでもらえることはやるべきだなと思いますね
ただ無理してやるもんではない。素直な気持ちでできることをやる
俺の勝手な思いとしては、必ず喜んでくれる。

これから

時は待ってくれない

どの局面をとっても音楽が好きだったんだな
腑に落ちなかったとしても、力及ばずというのも含めて
音楽をやるのが楽しかったんだな。それに尽きる。

みんなでやって完成して、喜びを分かち合う事に尽きる
一人では楽しくない。

何周年というのも言わない。

(引退のイメージ?)
そこはね「へへへ」と書いといてください。そんな感じですね。
時は待ってくれないという中で、目一杯走ったのかな。
ほんとに頑張ろうとしている人には時は待ってくれる、そういうオチをつけようとした。

100年後のメッセージ

100年ほど前に曲を書いて、歌を歌っていた小田和正です
いろんな問題はもちろんありましたが
たとえどんなに変わったとしても
空は青く やさしい風が吹いている
この国を 君たちが誇れる国にしてください。
心からそれを願っています。

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