猫は特別な存在
作品のつもりで猫を描いてるわけじゃないんですよ。2年前に15年飼ってたタマっていう猫が死んだんですよね。
やっぱりその猫をいつも思い出したい。猫に対する鎮魂歌、レクイエム、オマージュでもある。
死んだ猫に会いたいと思った時にその日は猫の絵を描いたりする。
猫はアーティストのかがみみたいなもの。わがまま、気まま、妥協することはない。どんな場合も常に虎視眈々と遊ぶことを考えてますよね。猫の性質は、アーティストが持っていないといけない性格だと思うんですよね。だから僕の先生でもあるわけです。
僕の性格が飽きっぽいからしょうがない。午前中描いてたスタイルの作品と、午後はガラっと違うものを描くことが多い。
そのほうが僕にとっては健康なんですよね。
毎日同じような絵を描くのは、僕にとって非常に疲れる。
未完成の作品が多い
描いた状態で放置しておくわけですよ。ある時、その絵ともう一度出会う。
その時に「あれ?もう描けてるじゃないか」と感じることもあるんですよ。だから絵は不思議で面白いんですね。
創作の原点とは
描くことはちょっぴり苦しいですけど楽しいほうが多いですよね。描いていない方がむしろ疲れるし、しんどいっていうのかな。だから絵を描き始めるとそういうものが解消してしまう。
創作の原点は遊びに繋がるものじゃないかと思うんですよね。大義名分があって、そのためにやらなきゃいけないものではなく、描いてること自体が目的で。
なにかのためにやるというのは、創作にはならないんですよね。
兵庫県西脇市出身。子供の頃、反物に描かれていた女性をモチーフにする。
背景を黒(からグレーにぼかす)にするつもりが、絵の具を選んでるうちに忘れてしまい、こげ茶にしてしまってた。
これはこれでいいのかなと。そんなんの連続。
- なかなか仕事するまでがごそごそ長いですよね
勿体つけてますよね。3ヶ月で百数十点描いたこともありますけど体調崩しましてね。
猫になりたいですよね(笑)アーティストの見本ですよね。そんな迷惑かけてないと思いますけど(笑)
妥協してしまうと敗北ですよね。
年齢的な事を考えると、最後は郷里に戻っていくんですよ。十代の体験の中からでしか浮かばないというか
十代は僕にとっての想像力の宝庫でもあるし、原点でもある。大人になれないんですよね。
略歴
両親に溺愛されてわがままに育つ。
高校生の頃、戸籍係のアルバイトをしていて、自分は父の弟の子、養子であることを知った。その頃から自己主張をしなくなる。進路は切手収集が趣味だったので郵便局を希望したが、美術教師に油絵を勧められる。描き始めた作品は多くの展覧会で入賞。
教師に東京の美術学校を目指せと助言されるが、受験前夜「学費や生活費をバイトで稼ぐ考えは甘い、受験せず故郷へ帰れ」などと言われ、郷里に帰って神戸新聞社のグラィックデザイナーに。
一つ年上の女性と結婚し、自分の中の野獣が再び目覚める
28歳で独立。精神世界に傾倒。ピカソは自分の思いに忠実に従っている、自分はどうなのかと思い始め、1982年画家宣言。そこから20年間苦しむ。絵は僕に合ってないんじゃないかという不安が襲うように。引っ込みがつかないということもあって、やるようになった。
三島由紀夫
狂気の存在にならないと僕の求めてる世界には到達しない。三島由紀夫さんとは短い交流しかないんですよ。僕から電話したらちょうど割腹自殺のリハーサルをやってる時で。僕は足を悪くして入院していたことを、雑誌の連載に書いたら
「高倉健と浅丘ルリ子が見舞いに来たって書いてるけど、俺だって言ったんだよ。俺の名前はどこにも出てないじゃないか」言われましてね
三島さんの名前を書きたかったんですけど書けなかったんですよ。だんだん政治に意欲的な方向に行かれるのを感じてましたから、三島さんとは距離を置くべきだと思っていた。非常に失礼だとは思って、書かなかったら亡くなる3日前に「俺の名前が載ってない」
関連
http://ami-go45.hatenablog.com/entry/2016/03/06/230000ami-go45.hatenablog.com
「ムー一族」の頃、個展で母が似顔絵付きのサインをいただいたことがある。
ご本人目の前にいらっしゃった、あれから40年。
日曜美術館で作品をゆっくり見てみたい