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【まとめ・感想】ファミリーヒストリー 斉藤由貴 耳が不自由だった祖父

祖父・水島吉男さんとは

1904(明治37年)年生まれ

2歳の時ジフテリアによる高熱で聴力を失う。11歳で東京聾唖学校に入学し、野球やテニス、演劇など部活に明け暮れる。独り立ちする為に裁縫科で学ぶ。27歳で後輩と結婚。
夫婦共に耳が聞こえないため、長男長女は縁者にあずけ育ててもらうが言葉はなんとかなると思い直し、三女以降は自分たちのもとで育てる。

母・淳(あつ)さん(三女)

覚えたのは(手を重ねて差し出す)「ちょうだい」お腹がすいたから、何かが欲しいから「ちょうだい、ちょうだい」いろんな苦労をしたんですよ。
「唖(おし)の子だ、唖(おし)の子だ。うつるからにげろ」って理不尽なこと言うんですよ。竿を持って追っかけました。有名になりました。「あそこ行くとね、竿で殴る奴がいる」

お裁縫するなんて夢にも思わなかった。宝塚に行きたかった。友達が今でも笑うんですよ。よく宿舎の窓際に座って 泣きながら歌ってたわねって

叔母・清(きよ)さん(四女)

(切符の手続きをした際に)ろう者の方は「聞こえない」って仕草をするんですね。その方が奥に向かって「唖が来たよ、つんぼが来た」って言うと「追っ払っちまえ」って返ってくる。父はちゃんと手続きをしてハンコを押せば切符が買えるんですけど、目の前でドアを閉められておしまいです。父の顔見たら、私は小学校1年ぐらいだったんですが「また来るからいいよ」笑顔で言うんです。

清さんは手話ニュースのキャスター。

※「唖」「聾(つんぼ)」かつては放送禁止用語だったのでは。
NHKが普通に流してるから解禁になったのかな。すみません些細なことが気になって。
端的に表現するのだから差別用語には当たらないのでは
放送禁止用語集
放送禁止用語一覧 放送禁止用語一覧

昭和15年、36歳で水嶋帯裁縫所を設立

終戦時は桜木町で靴磨きをしていた。PX(進駐軍の購買部)で荷物をさばく仕事を紹介してもらう。昭和25年、水嶋帯製作所再開。ろうあ者を雇い入れる。思いやりのある優しい人だったという証言。

帯仕事だけでなく、日本ろうあ連盟の役員理事をやっていて忙しかった。日本ろうあ協会横浜部会を立ち上げた(昭和11年)手話通訳の必要性を訴える。美智子さまの帯の仕立ても。

曽祖父・吉太郎さん
鉄道の仕事(米沢で保線区の主任。)お妾さんが3人いた。当時は「障害者を産んだ母の責任」とされ、離婚を余儀なくされた。曽祖母弘子さんは再婚し、76歳で亡くなるが、この番組がきっかけでお墓が見つかった。

父・勉さん

仙台で生まれ育つ。おふくろ(キヨさん)はいつも歌を歌ってた。綺麗な声でね。6歳の時両親が離婚。勉さんは父・巳一郎さんのもとに引き取られる。巳一郎は再婚するが大酒飲みがたたって離婚される。2度目の母親と巳一郎さんの喧嘩が始まり、歩いて30分のところにあるキヨさんの家に行き、何年ぶりかの再会を果たすも、一緒に住むことはできないと断られてしまう。中学3年で窮状を見かねたキヨさんに引き取られる。「お母さんの決断によって、あなたには大変な思いをさせたね」死ぬまで言ってた。

巳一郎の父・巳之助は斉藤家の籍を抜けている。

「斉藤」由貴 本名は「齎藤」

「卒業」ってもう31年も前の曲なんね・・30年前の徹子の部屋では手話通訳付きだったが放送3日前に吉男さんは大腸がんで亡くなる。放送当日は葬儀でバタバタしていた。

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この12インチシングルをよく聴いたもんだが、今改めて歌詞を噛み締めると随分身勝手な女だなと

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斉藤由貴 ベスト・ヒット BHST-188-SS

斉藤由貴 ベスト・ヒット BHST-188-SS

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追記 2017.8.5

こんなところに書くのもアレなんですが例の会見の翌日に爆報ザフライデーに出てて。まさかのタイミングに笑ってしまいましたわ。手つなぎは犯罪じゃないから「○月○日に収録したものです」なんてテロップも出ませんしね。男の人は参りますよ。あの眼力。まさに魔性。うちの夫も言うとりました。


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