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サワコの朝 藤井フミヤ(NHKFM RADIO1980の感想も)

長男の話

阿川:あの子が某局に。最初にお会いした時ご長男は中学生ぐらい
フミヤ:高校生ですね
阿川:いつ頃からアナウンサーになりたいと
フミヤ:大学生なったぐらい。バンドやってたんですけど、音楽で食っていけないと見切りつけちゃいましたね。担当はドラムです。やっぱ、上手いミュージシャンを見すぎたんでしょうねえ(笑)
阿川:お父さんの周りで?一流を見すぎて
フミヤ:限界を感じたんでしょうね。それを生業にしていくのが。でも、自分はしゃべりは結構イケてると思ってたみたいで、文化祭とかサークルで司会をよくやる。生徒にも父兄にもウケがよくて。アナウンサー頑張ってみようと本人が言い出して「うわ、めんどくさいもんやるんだな」と思って。比較的、家庭というものをひた隠しに生きてきたので、なんかしゃべらないといけなくなってきちゃう。家庭内とか。多少。だからめんどくさいなあと思った。ま、本人がやりたいというならね。親は一応、応援しないといけない。じゃ、がんばれと。毎朝ネクタイを締めて出かけるじゃないですか。初給料もらった日にLine入ってて「今日は大切な用事があるから家にいてください」シャンパン買ってきまして「お世話になりました」と。お前どっか婿入りするのか(笑)
阿川:ママ泣いちゃいそうですね
フミヤ:涙ぐんでましたね、ポーンっていった時
阿川:パパ涙ぐまなかった?
フミヤ:涙ぐむわけないじゃないですか

記憶の中で今もきらめく曲

フィンガー5恋のダイヤル6700

小学生。妙子ちゃんと同い年なんですよ。同い年の子が歌ってるっていうね。晃のサングラスを通信販売で買いましたよ。うちに来たんですよ。待ちに待ったサングラスが。開けました。喜び勇んで。真ん中で折れてました。テープでくっつけました。
突然消えちゃうんですよフィンガー5。それがなぜだか全然わからなくて。そしたら晃くんの声変わりだったんです。それ知らないから。

久留米時代

阿川:久留米ですね?
フミヤ:久留米です
阿川:割とそういう音楽に理解のある街
フミヤ:比較的許してもらえそうな感じ。ダンスパーティーやってて、高1でパー券売って人集めてライブやってた。
阿川:音楽系列としては?
フミヤ:ロックンロールですね。高校の時は50年代(の曲を)ポールアンカとかニールヤング、エルビスプレスリーとか。しかも格好もああいう年代の。アメリカングラフィティみたいな。今考えると、50年代コスプレをして集まってダンスパーティー。楽しかったですね。16~17で上の世代の先輩たちが卒業する時、いろんなバンドが解散した。そのバンドのいいやつばっかりピックアップしてできたのがチェッカーズ
阿川:久留米時代のチェッカーズはどれぐらい活動してたんですか
フミヤ:久留米じゃ有名でした。アマチュアバンドコンテストでグランプリ。
阿川:グランプリとって、プロになる話がすぐ来たんですか?
フミヤ:来たんですけど、高校生3人いたんですよ。売れると思わないから。そんな簡単じゃない。高校ぐらい出しとこう、中卒になっちゃうよ3人。で、2年待つことにした。
阿川:タイミングを2年、その年で待つって
フミヤ:あのぐらいの時って、まだまだ青春が続く、若さは永遠のものぐらいに思って。そっから僕、いわゆるJR職員に。構内係。貨車繋いだり客車繋いだり。(プロデビュー決まって)両親説得に1年以上かかった。「どっちか置いていけ」って言われた。尚之はサックスだし、どっちかって言ったら俺リードボーカルなんで(笑)後で迎えに行くからって。尚之は涙ぐんでた。俺も行きたいと。そしたらおふくろがオヤジに「あんたもういい加減行かしてやれ尚之も」それで二人でハイタッチ、よっしゃ!

21歳でチェッカーズデビュー

セブンティーンとか、ティーン雑誌によく出てた。それまでファンレター2通しかないの。ちっちゃい引き出しに。それがいきなりワーッとはみ出て、引き出しからダンボールなって「もうすぐベストテン」に出た。ベストテンに入らない、話題のグループ。日テレさんにもトップテンがあってそれも「もうすぐトップテン」(笑)フジテレビさんの方は「夜のヒットスタジオ 新人コーナー」三つでたらどっか~ん。爆発しちゃいました。早朝から深夜まで働きましたね。休みなかったですね。疲れてくるけど楽しいってのもあるでしょうね。初めて芸能界に入っちゃったし。うわ明菜ちゃん!うわっ聖子ちゃん!、、、田舎者ですよね(笑)当時は5万円でしたね。一人月5万。売れてからしばらく経って倍々ゲーム。

解散~ソロデビュー~TRUE LOVE

フジテレビのプロデューサーから「あすなろ白書」ドラマでやるから主題歌書いてくんない?って。漫画読んでて知ってたけど作曲もしなきゃいけないな、とふと思ったんです
したことなかったんです作曲。初めて作った。俺ギタリストだし今もそうだけど知ってるコードだけで作ったから、むちゃくちゃ単純。Fが抑えられれば全部弾けるんですよ(笑)売れちゃったんですよど~んって。あれ、売れたなって。当然のようにレコード会社が「アルバム作りましょう」そっかアルバムか。作りました。たら、イベンターがやってきて「全国ツアーやりましょう」バンバン来てしまって契約が。その時事務所が無くて甲だの乙だの契約書がわからない。結婚して子供もいるのに「抱かれたい男1位」なってしまって

阿川:世の中の女だったら誰でも(笑)

好き勝手なんですよほんとに。のぼせ上がったんですねそこで。なんでも俺が一番みたいな。さすがに(天狗)なるでしょ。それで友達もだんだん「あいつと飲んでもつまんないよ」なってったと思う。自分自慢が多いんでしょうね。俺の言うことが正しいと。寂しいと思ったんですけどね。ある時友達がいいこと言ってくれたんです「お前と飲みたい奴なんてひとりもいねえよ」そっから少し目が覚めまして。これは時間がかかるだろうなと。合わない人とは会わないまんま。でも2~3年でまた飲めるようになって。

阿川:奥さんとはこじれたりしなかった?
フミヤ:そこはないですね
阿川:それはすごいですね
フミヤ:知り合ったのは16。チェッカーズ組んだのは17。だから全部知ってる。
阿川:フミヤさんの方にブレはなかったんですか?
フミヤ:ありますよそりゃ
阿川:あぁあったの
フミヤ:可愛い子多いしね(笑)
阿川:そこらへんは、いくら遊んでも・・
フミヤ:そういう言い方やめてください(笑)まぁでも怒らなかったですね。人気があるとき結婚もしましたし。24ぐらいだったかな。真面目だったし。向こうのお父さんが1回言いに来たんですよ。週刊誌にガンガン書かれちゃったりして、向こうも見合いの話がなくなるしね。「ちゃんと結婚しますので安心してください」言ったんですよ。それがあったから結婚したってのあるよね。今思い出した(笑)

いま心に響く曲

CAROL/二人だけ

バンド組みたいきっかけになった番組がキャロル解散。こころわしづかみ。それのオープニングが「CAROL」って文字がわーっと燃えて・・

と言って弾き語りを。

感想

フミヤもちっちゃな頃からちっちゃくて、だが阿川佐和子はもっとちっちゃい。デビューから体重変わってないんだ。 

RADIO1980、世良公則から始まった5日間全て聴いた。世良公則も選曲渋かった。途中「Wの悲劇」かけてた。太田裕美は毎晩11時に寝るので、10時を過ぎると眠くなる。原田真二は息子も登場した。デビュー当時の話が面白かった。吉田拓郎にプールに突き落とされるところを松本隆が8ミリで撮ってた、とか「全員集合」の合唱隊コーナー出演で「てぃーんずぶるーす」歌うことが決まってたのに事務所判断で知らないうちにドタキャンになって。生放送でいかりやさんに「帰っちゃって」と言われ「生意気」とマスコミに書き立てられた話とか。ご本人は「18のガキンチョが出たくない、なんて言うはずない」太川陽介森口博子は舞台共演した時インフルエンザのうつしあいになった話をしてた。

昨日がフミヤ。(2016.8.19)
ギター弾き語りで「SWEET MEMORIES」(←松田先輩と呼んでるらしい)「少女A」(←途中歌詞間違えたけどかっこよかった)「セーラー服と機関銃」(←ひろ子ちゃんは声がいいんだよね、でも歌詞のどこにもセーラー服や機関銃が出てこない。大人の事情ってやつですかね、って言ってた)「悪女」(←中島みゆきさんの「ルージュ」が中国、ヨーロッパでもカバーされてる話をしてた)で、ファンのがちゃ子さんと電話で話してた。フミヤはうちの夫と同い年。がちゃ子さんは「88年、20歳の頃山手線で隣にフミヤさんが乗ってて」と言っており自分と同い年。選曲良かったっすね。

藤井フミヤ 「RADIO1980~2016夏~」弾き語り部分のみ - YouTube

ボクらの時代 木梨憲武×藤井フミヤ×ヒロミ(抜粋): .net.amigo
藤井フミヤの「SONGS」: .net.amigo

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