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【抜粋】ザ・インタビュー 高橋幸宏×浜田敬子(AERA)加藤和彦の素顔

WORLD HAPPINESS

浜田:命名は幸宏さん?
高橋:僕とね、信藤三雄さん。アートディレクター。二人でつけた記憶がある。
浜田:やっぱり特別な思いがあった?
高橋:これからのこととかあったんだけど、もうちょっとフランクに行きましょうって。家族ぐるみの都市型のフェスをやりたいなあと。フェスどんどん大きくなって。巨大化していくんですよ。議論まで起こるようになるので、そうじゃなくてもっとゆる~く平和でいいんじゃないかなって思いでずっと。
浜田:今年はどんな顔ぶれで行こうかとか、こんなテーマでってこともお決めになる?
高橋:今年のテーマでって特別決めることはあまりないですけど唯一意識したのが震災のあった時かな。結構自粛したりするのもあったけど僕はその時「道を取り戻すためのセッションにしたい」と。今こそ音楽の力で日常に戻れればって。その年ぐらいかな。
浜田:じゃ年齢層も幅広く
高橋:そうですね。

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ドラムとの出会い

母は理解があったが父親はバンドに大反対。兄に「何のために慶応に行かせたんだ」というほど厳格だった。10歳の頃、クリスマスに母からドラムセットをもらった。当時はハナ肇さんとかジャッキー吉川さんとかリーダーが多かった。ドラムは耳コピ、独学で覚えた

高橋:ピアノやってりゃよかったかな、教授がいなかったらな(笑) ドラマーはモテないですよ

奇跡の世代

ユーミン山下達郎

浜田:今回衝撃だったのは、大好きな「翳りゆく部屋」に幸宏さんかかわっていらっしゃったエピソードを読んで。
高橋:僕が高2の時、ユーミンが中学3年生。ヤング720というTBSの番組でアマチュアバンドで出演してますね。作詞作曲は荒井由実、学校から帰ると家にユーミンがいる。

※元々のタイトルは「マホガニーの部屋」

浜田:幸宏さんからユーミンまでの世代って、綺羅星のような。達郎さんとかもそうですし。
高橋:ビーチボーイズを丸コピしたようなバンドを彼が作ってて、聞いた時ものすごくショックで、シュガーベイブやってんですよね。坂本君を紹介してくれたのは達郎で。坂本君は僕を見て「女みたいなカッコした奴だな」と思った。
浜田:坂本さんって当時はどんな格好?
高橋:ジーパン切りっぱなし、爪真っ黒、長髪。
浜田:ヒッピー(笑)でも別々のところからいろんな才能が湧き出てた時代だったんですね。

矢沢永吉「時間よ止まれ」

浜田:なぜ参加することになったんですか?
高橋:キャロルやめてソロでデビューした伝説のライブが日比谷の野音。その時のドラムがなぜか僕。その流れで。キーボードは教授じゃなかったかな。

加藤和彦との日々

浜田:日本のカルチャーシーンにおいて、加藤和彦さんの存在は大きかった。
高橋:大きいですね。ある種親友でしたね。年は5つも上なんだけど。一緒にバカばっかりやってて。僕は釣りが昔から好きで、釣ると持って行くじゃないですか。彼は生きてる間は絶対触らないんだけど、死んでしまうと一つの食材なんで。すっごい料理がうまいんですね。
浜田:なんでも出来るってイメージなんですね
高橋:でも朝ご飯に納豆食べないんですね。ホントの食通じゃねぇなって(笑)バンドで旅する時、旅館って言うと絶対駅で帰っちゃいましたもん。徹底した美意識があった。かといって公民館でやると当時はケータリングとかお弁当が出なくって、食堂みたいなとこ行って、だいたいオムライスあたりが妥当なんですよ。仙台の何々会館のオムライスが一番美味しいとか、そういうのは知ってたの。
浜田:意外と庶民的なんですね(笑)
高橋:置かれた状況の中で一番おいしいものを食べようとしてた。いつもユーモアもある。

1975年、サディスティックミカバンドはロキシーミュージックの全英ツアーに参加。イギリス人が考えられない事を日本人がやった。

YMO

ある種運命みたいなもの。オーケストラってつけてるからには、人数が増えてもいいって感じだったらしいですけど。細野さんちのコタツに入って、絵を見せられて。漫画なんですけどものすごく上手くて。富士山が爆発してて。ファイヤークラッカーがアメリカで何百万枚とか描いてて。教授はバイト感覚だった。

黒船

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