泉麻人といえば「テレビ探偵団」
1965.11.8(月)スタート
司会の藤本義一は2012年10月30日、79歳没。
藤本義一 (作家) - Wikipedia
プロデューサーは藤田潔。
藤田:僕はNBCに「鉄腕アトム」を売った。その時に契約をして、手塚治虫を連れて調印式に行ったんです。※そこで見たのが「ザ・トゥナイト・ショー」あ~待てよ、日本は11時になったらね、ニュースが終わったらおやすみなさいのマークが出てね、15分には番組全部終わってる。だけどアメリカは11時からゴールデンタイムみたいだ。日本とえらい違うなと思って「よし!帰ってやろう!」と、帰国してすぐに企画書を書いて日本のキー局を全部回ったんです。「藤田さん、夜寝てる時に誰が見るんですか」と言ってどこの局も全部シャットアウト。困ったなと思って、日本テレビの井原高忠プロデューサー(2014年没)に持ってったら
「おもしろいかもわからんからやってみようか」と「11PM」が決まった。やっぱり夜の時間を開拓したのが大きなテーマ。夜テレビを見る生活習慣を作ったのが大きなカルチャーじゃないですか。
66年当時、「夜の生態ルポ」「銀座最高ホステス」に混じって既に「日本の三大埋蔵金」「ケチの経済学」「心霊科学」「女プロレス」「ボイン・極楽編」ボインの語源は大橋巨泉が朝丘雪路の胸をさして言った。特に面白かったのをBlu-ray化して欲しい。無理かな。
修学旅行で見ようとしたら、中学生が泊まるホテルの部屋の全テレビが視聴不能に。なんという行き届いた、いや行き過ぎた配慮。松居一代がOPやってた頃の話。テレビにとってお色気とは。
オイルショック時は深夜放送をカット。
70年代後半には衰退。盛り返すのは80年代以降。深夜営業が急増。
お色気戦争
オールナイトフジ~TV海賊チャンネル(1984)~ミッドナイト六本木※繰り返しますがEテレです。
映像はさすがにアレと思ったのか、番組欄のコラージュでごまかしていた。とはいえ「過激な生本番」「美人観客性感マッサージに挑戦」が画面に。
泉:新風営法施行(85年)テレビに直接関係なかったが、国会でどっかの議員が「エロが過熱する深夜番組いかがなものか」みたいなのを言ったのでやや萎縮して「路線を変えよう」85年頃から違ったタイプの番組が出てきた。
冗談画報
清水ミチコ(74回がTV初出演)
思い切ったことをしてくれた。誰も知らない人のライブを30分映すっていうのは、すごく度胸のいることだしもし間違ったら大失敗。 その可能性のほうが高い。ゴールデンは「チェックしますね」って感じが強い。やっぱり深夜の方が自由が利く。
録画チャンネル4.5
起きて見るか、録って楽しむか。録画することを前提に作られた。浅田彰。86年。
※この年初めてビデオデッキを買ったっけ。東芝ビュースター。
浅田彰 No.1 - YouTube
東京幻想曲2 録画チャンネル4.5 - YouTube
「姫TV」「IQエンジン」「平成名物TV」「SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族」どれぐらい観ましたか?
「夢であえたら」「たほいや」「カノッサの屈辱」「TVブックメーカー」「アインシュタイン」「音効さん」「やっぱり猫が好き」「とぶくすり」怒涛のフジ攻撃。
もうフォーマットとして出尽くしちゃったのかな。いまフジで見てるものってあんまり思いつかない。深夜は特にこっちは周回遅れだし。
80年代以降90年代までに昼夜逆転生活送ったツケは、今来てるぞ。バブル世代は早死するって、66年生まれの元同僚が言ってた。
竹中直人:誰かが見てるって意識したことがなかった。
「深夜の背徳、後ろめたさが魅力の一つ」たしかに。