宮沢章夫さんは2022年9月12日死去。65歳。
80年代の正体(1990)
はっきり言って「スカ」だった!
擁護するつもりはないけど、それだけだったか?と感じるわけです。
スカの全体像がつかめない風間俊介。
駄菓子屋行ったことがありますか?くじ引いて「はずれ」が、スカ。現象として、意味のないことがスカだった。それを丸ごと肯定しちゃうのはちょっと・・現代につながる意味合いは何か、考えるきっかけにはなったわけです。
テクノ
80年アルバムチャート
YMO、クラフトワークは80年代そのものに影響を与える電波力を持っていた。
1 ソリッド・ステイト・サバイバー YMO
2 起承転結 松山千春
3 グレイテスト・ヒッツVOL.2 ABBA
4 夢がたり 久保田早紀
5 おかえりなさい 中島みゆき
6 逆流 長渕剛
7 スコール 松田聖子
8 増殖 YMO
9 浪漫 松山千春
10 パブリック・プレシャー YMO
※ダビングまたは購入、CD買い直したものも。 YMOは運動会や給食の時間に流れた。BGMにしか捉えられないかもしれないけど、特別なものがあった。
細野晴臣
僕はベースを弾いてて、有機的な、オーガニック的なことをやっていた。70年代ってのはそういう音楽。急にコンピューターで、シンセサイザーとか。数値で打っていくんで、均等なんですよ。聴くと「ピコピコ」とか、そういう音。じゃあ自分はいったい何をすればいいか。**ベーシストとしてのアイデンティティーが崩壊した。自分たちではキープできないリズムがコンピューターではできる。脳の世界。一度肉体的な音楽やってますけど、一旦置いといて、脳で音楽ができるんじゃないか。そういう刺激はとてもあったんですね。なんとも言えない快感があった。ドイツのクラフトワークは本当に素晴らしかった。真似ができない。真似したらクラフトワークになっちゃうし。日本人として太刀打ちできない何かを感じる。僕たちは「鋼鉄のコンセプト」と呼んでました。でも僕たちは何を習ってきたのか。少なくとも邦楽のバックボーンは僕たちを支えてない。聴いてきたのはアメリカの音楽ばかり。少しは役に立ってるけどテクノには生かせなかった。障子と紙とか、木で出来てる。東京ってのはそんなもんだろう。
ロンドンで最初のライブやった時に、終わって出てきたら女の子が追っかけて来てチューしてくれた。「cute!」って。キュートなんだ僕たち、って(笑)
いい意味での軽薄、軽さって否定されるものだったかもしれないけど、逆に東京が持ってる魅力だったのかもしれない。
ニューウエーブにふさわしい音づくり。自分たちを相対化する。笑って見せることだったのかも。
菊池成孔
オタク、アキバ、サブカル系の人たちも「ライディーン」ヤンキーの人たちもシャコタンに車載してた「ライディーン」YMOは、ほんの一瞬、この二つに君臨したんですよ。敵対する二つの勢力が一瞬で影響されたんです。源流と言うと大げさだけど、きゃりーぱみゅぱみゅさんとか、Perfumeさん、欧米でものすごく人気がある。YMOが「エキゾチック」って言ってたけど、彼女らもそう。そういうのの先祖だって言い方はできる。
高橋幸宏さんが「汗をかかない」と。それまでのロックのドラマーは、暑いから汗をかくんですよ。タンクトップで。でも幸宏さんには耐えられなかった。だからきちっとした格好でたたく。それが似合う人だった。コンセプチュアル。頭で考えた何物かを形にする方がかっこいい。YMOは非身体 =情報
器を変えるために原宿が必要だった。TOKYOファッションビル。当時先端人間の集まるところ。フーテンからファッション文化へ。ピテカントロプス・エレクトス、セントラルアパート。81年のananに「セントラルアパート物語」がある。糸井重里。コピーライターが注目を浴びた時代。80年代は高度資本主義。製造業が追い越された時代。
差異化ヒエラルキー。
90年代は差異化がなくなって「違っててもいいじゃない」
80年代的な笑い
【80s】 懐いお笑い Y M O トリオ・ザ・テクノ - YouTube
わたし、常々こんな人になりたいと思ってるw
笑いながら怒る人 - YouTube
いとうせいこうがやろうとしてたのは、社会の中の何が面白いのか。彼の新しさはそこにあった。こういう笑いがありますよ、というのを情報化して伝えるのが80年代。
Eテレでスネークマンショーとか、じつにたまんない。
おたく OTAKU
「漫画の同人雑誌の即売会、あ~すごいマニア・パワーです」←この実況が国営放送的。
中森明夫
「菜」を「夫」に替えただけの名前。どこのトンチキだと思うでしょ?この人すごいんです。世にも恐ろしい「漫画ブリッコ」中森明夫さんはここでオタクの研究をはじめた。コミケの説明。カッコいいかかっこよくないか。YMOはかっこよくて、オタクはかっこ悪いという考え方。オタクも、テクノとは違うかもしれないけど非身体。それが日本の80年代。
AKIRA
見ながらタイピングしてて、こんなワクワクしたこたぁない。確かに自分が生きてた80年代を「これでいいのだ」と肯定してくれた番組。再放送やればいいのに。
新しさを追うこと自体が、古くなっちゃったのかもしれませんね(岡崎京子)