人生を変えた春の名曲
悲しみよこんにちは(1986)/斉藤由貴
マ:わかりますかみなさん、48歳のマキタスポーツ、涙腺が大変なことになってます。水のトラブルです、また(笑)
ス:この曲のどのフレーズですか
マ:この曲本当ね「今度悲しみが来ても友達迎えるように笑うわ...きっと約束よ♪」86年の発売。高校在学中「めぞん一刻」挿入曲で有名になった曲でもあるんですけど、その時あんまりピンと来てなかった。88年に上京して、5月に5月病になったんですよ(笑)一応、大学に行き始めてたんだけど、ほとんど行かなくなっちゃって、引きこもりになって。ほんのちょっとしたことだったんですよ。山梨から上京して、大学の校舎で4階の教室に行くのに、出会ったばかりの友達と階段のぼる時に僕が「あぁえらい」って言ったの。横に居た友達が「なにがえらいの?」「えらい」って知らない?方言なんですよ。「疲れた」っていう。「しんどい」とか
ス:関西弁で「えらい」って言いますよね
マ:山梨もそうなんです(※アイドリングの人も静岡なんだけど「えらい」を使う)この3人だったら5月病なんかなんねえんだよ(笑)方言で「なにがえらいの」ツッコまれたことで顔まっかっかになっちゃって。それで学校に行きたくなくなっちゃったの。TOO SHY BOY 観月ありさは俺のこと歌ってくれたの。86年は山梨の田舎で勘違いをしてたと思うんですけど、メインストリームにいると思ってたの。
ス:名門日川高校
マ:ヒエラルキーの上の方の人間だと勝手に思ってたんですけど、東京に出てきて、そんなの何も通用しねえな、しないどころかそんなちょっとしたことでつまづいちゃって、カラに閉じこもる。うちの部屋にラジカセがあったんです。僕の兄貴と一緒に住んでる部屋が。兄貴もスージーと同い年で。テレビ制作会社のADやってたんですよ。たまに帰ってくると機嫌悪くて。多分上のディレクターから結構いじめられてたんですよ。俺は学校に行ってないでしょ。行ってないことを兄貴にも言えない。鬱々とした中で誰も友達がいなくなっちゃった、兄貴とも一緒に住みたくない、銭湯に行くのも嫌だったんだから。俺半年間ぐらい風呂に入らなかったんだから。人と合わないんだから。明大の前に住んでたんだけど、甲州街道と井の頭が交差するところにミニストップがあって、廃棄処分になったものをあさりに行くんですよ。そんなことをやる中でこの曲が助けてくれたんです。まさかこんな曲に癒されたり助けられるとは思わなかった。
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【斉藤由貴(Yuki Saitō)|♫ 悲しみよこんにちは】『めぞん一刻』オープニング OP - YouTube
※31年前か。それにしても、うたコンの松本隆特集にも出なかったし。本人が辞退したならともかく、もう出ても良いのではないかと。当時は朝ドラだけじゃなく紅白の司会だってやったんだし
来週の卒業ソングで斉藤由貴が出るかどうか。出ないだろうが出て欲しい #うたコン
— あみーご長嶋 (@amigonag) 2018年3月6日
時には娼婦のように(1978)/黒沢年男
※40年前かよ。真昼間から流さないよう、時間帯に気をつけてとご注意があったようで
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ス:今日のテーマなんでしたっけ?春?
マ:春歌(笑)えっちい曲でね。子供の頃、こんな歌が普通に歌謡番組で歌われてたという珍現象
ス:そうですね。私も「ザ・ベストテン」のスポットライトで、歌詞の「黒い靴下」に...(笑)小5の私はモヤモヤとしたものが
マ:僕なんかスージーさんより4つも年が下なんで、意味がわからない。ただ、なんかイケないことが歌われているような気がする。娼婦、乳房という言葉、黒い靴下、片目をつぶって人差し指で手招きでしょ。これはおそらくロクでもねぇことを歌ってるに違いないと思いつつ、分からないからお母さんにもうっかり「娼婦って何」って聞いちゃう
ス:聞きますね
マ:「んも..おとーさーん!」みたいな(笑)うちの空気がえらいことになっちゃって。でもこの曲耳馴染みがよくて。縦笛でやってましたからね。学校の帰り道とか畑のあぜ道で。リコーダー吹きながら下校している小学生。※小4だが教室で休み時間にやってた
ス:歌謡曲というジャンルがなくなったのは、アダルトビデオの普及。この翌年、79年に松坂慶子「愛の水中花」(※←おおらかな小学校だったので卒業式前の給食時間に流れてた)
マ:あれはたまらない、お世話になった!
ス:バニーガール姿で歌う。あれは何かと言うとアダルトビデオの役割を果たしたんですよね
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OH!スーパーミルクチャン 時には娼婦のように (by 大統領) Full Ver - YouTube
北の国から 純のテーマ(1981)
※先日 #みなさんのおかげでした で「したの国から」やったよなw
マ:「北の国から 初恋」
ス:伝説のドラマですよね
マ:そうなんでうすよ。横山めぐみさん、かわいい!手鏡でキラキラ。純くんが恋しちゃうわけですね。ほぼ同い年ぐらいなんですよ。れいちゃんという子に初恋をしていく、僕の淡い恋心みたいなものがシンクロする。あの頃の横山めぐみさんの透明感。クリオネか横山めぐみ。ほぼ半透明。横山めぐみさんのチェーンが外れちゃってるのを純くんが直してあげるところから始まる。倉本さんというのは味な脚本書くんですね。雨が降って納屋に駆け込んだら、横山めぐみちゃんが制服脱ぎ出すんですよ。そこでなんだかわかんないけどでん六豆食べだす(笑)「純くん、お豆食べる?」俺ドキドキしていた。
忘れ去られてる曲
春のからっ風(1973)/泉谷しげる
マ:ルールを逸脱してます。70年代、しかも前半の曲ですから。泉谷しげるさんのイメージは適当、やんちゃな。金妻、役者として出てったので。僕のちょっと先輩の人が聞かせてくれたのがこの曲。情感というか、テレビで暴れまわってるイメージとは違った、サラっと描いたイラスト、春の景色みたいな。芸術家なんだこの人と思いました。泉谷さん自体見直した曲でもありました。
泉谷しげる 【Live】 春のからっ風 1973 - YouTube
パープルモンスーン(1980)/上田知華
※なつかしい!中学生の頃聴いてた
上田知華+KARYOBIN 福岡 Live'80 パープル・モンスーン/乾杯!ブラディ・マリー - YouTube
マ:エレキベースとかドラムとか、歌番組で見てて「そんな形態があるのか」ちょっと驚いて。あと「採れたての日差し」ってフレーズが子供心に引っかかって。そんなもん取れるわけねえだろって突っ込んでたのは覚えてるけど、心地よさとか快適さは、詞の世界はわからないまでも届いてくる。
上田知華さんが亡くなった。思い出される曲たち。|あみーご長嶋|note
僕等のダイアリー(1980)/H2O
※あっ!翔んだカップルじゃっ!うあああ見よったわい!芦川誠!
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マ:名曲なんですがみんな忘れちゃいませんか。当時フジテレビで全然違うテイストのドラマやってたんです。
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