さかいさん:YOSHIKIのために会社を辞めてWEB関係の会社を設立。二千万注ぎ込む
YOSHIKI登場
老舗呉服店の長男として誕生、4歳でピアノを習う
マツコ;アタシも千葉ですから。よくこんなのが千葉から出たなという郷土の誇りのひとつでもあります
YOSHIKI:もともと出身地も「X」なんですけど、TOSHIと同級生で幼馴染。彼は公表してるんで。まぁわかりますよね(笑)
マツコ:なんとなくX。千葉の館山でね、YOSHIKIさんとTOSHIさんが同級生でいたってことがもはや奇跡よ
さかい:日本の首都にするべき
マツコ:千葉県出身者として言いますけど、館山を首都にしちゃダメよぉ
5歳で利三(のちのTOSHI)と出会う
さかい:すみれ組で、おふたりが
マツコ:すみれ組だったの
YOSHIKI:すみれ組。しかももともと彼はボーカルじゃなかった。ギターだったんですよね。最初ぼくがボーカルだった。なんかしっくりこないなと自分で思って。TOSHIも「まあいいんじゃない」なんかすごいボーカリストになった
5年生で父が自殺
マツコ:きっかけなんだったんですか、ロックの方に行くのは
YOSHIKI:ちょっと暗い話なんですけど、お父さんが死んでしまったんですね。自殺だったんです。で、なんか、心の行き場がなくなっちゃった。それまではすごく真面目なクラシックだけ聴いてる少年だったんですけど、急に怒りがこみ上げてきまして、その時ロックと出会ったんですね。たまたまKISSのアルバムがありまして、何この人たちみたいな。で、聴き始めたらどんどんのめり込んでいって、お母さんがドラムを買ってくれたんですね。
マツコ:すごいいい話。不謹慎なんですけど、どうしてこんなに息がいい匂いするの(笑)全身バラみたいな匂い。
YOSHIKI:面白いですね
中学時代
教師にバリカンで丸坊主にされグレる
YOHIKI:耳に(髪が)ついちゃった。今だったらきっと問題になると思うんですけど、当時は連れてかれて、職員室に。で、押さえつけられて刈られちゃった。僕もう泣きわめいて。何これみたいな感じ。さらに闘争心に火をつけた。坊主になったら頭がキユーピーみたいに尖ってるんです(笑)TOSHIが僕のこと見て、僕トランペットとかもやってたんで「未知との遭遇の宇宙人みたい」って大笑いするんですよ。それでまた泣いちゃって。
さかい:学力の方もすごくて、千葉県の模試で一人だけ100点満点とって表彰された
YOSHIKI:お母さんとの約束で、勉強さえちゃんとしてれば文句言われなかったんで、勉強だけはやってました。
高校時代、Xを結成
音大受験をやめ、Xで生きていくことを決意
マツコ:その時のXは私たちが知ってるX
YOSHIKI:いや、TOSHIと僕は同じ高校だったんで一緒ですけど
マツコ;あとは違うんですよね
YOSHIKI:同級生で。ひとつはGUNIUSだったんですけど。ベースの彼は東大に入って、キーボードの彼は京大。僕以外は。そのバンドもやってて、Xも始めたんですよね。
マツコ:(写真見て)かわいくない?
YOSHIKI:突っ張ってたんですけど、可愛いと言われてしまって。他校の人から喧嘩売られに来るんです。お前可愛いなって言われて(笑)
なんかどういうふうに喧嘩していいかわからなくなって。
ビジュアル系というジャンルを確立
マツコ:ビジュアル系のもとではあったんだけど、Xの方がもっとクリミティブ(原始的)さっき言ってた怒りとか、そういうものを表現する手法
YOSHIKI:やはり規制されることが僕はすごく嫌で。ロックって自由なもんだと思ったんで当時。そしたら意外に自由じゃなくて、あなたたちハードロックだからこうしなさい、とか、アーミールックになって髪黒く染めて、とか。
言われれば言われるほど逆に行ったんですね。音楽的には自信があったんで、もうなんでもいいや、おとなしくしなさいと言われるほどウエディングドレス着てみたり。攻撃されたりしたんだけど、ビジュアル系になっていった
ロックとクラシックの融合
マツコ:今でも表参道の、河合楽器の前通ってピアノ見るとちょっとアガるよね。よしっ!と思うもんね
さかい:たとえば天皇陛下御即位10周年記念とか、愛地球博テーマソング作曲とか
YOSHIKI:XJAPAN解散して、やってなかったんですよ。もう音楽やめちゃおうかなって思ったんですけど、この話をいただいて。ミュージシャンに戻るきっかけになった。とても運命を感じましたね。
伝えるためには手段を選ばない
どんないい音楽を作っても聞いてもらわなければ意味がない。
マツコ:アタシ、紅白出させていただいてね、YOSHIKIさんもX JAPAN で。あたしね、どの歌手よりもX JAPANが紅白というお祭りに対する敬意を持って、ちゃんと染まって、ちゃんとそこで紅白を盛り上げるパフォーマンスをして、全然揺るがず全然傷つかず、X JAPANでいられるっていう姿を見て、うわ、こりゃすごいって思ったのよ
YOSHIKI:基本的に勝負するところって音楽じゃないですか。勝負できるんで、あとはもう何でもいいかなって
マツコ:あたしそれでものすごい好きになったの。いちばんすごかった。
YOSHIKI:ゴジラ倒して良かった(笑)
ドラムを壊すパフォーマンス
YOSHIKI:わかりやすいじゃないですか。途中から、これもう音楽とは関係ないんじゃないか(笑)メンバーが「ついてこれねぇ」って。それがもう快感で(笑)勝った!みたいな。
マツコ:何個目ですか
YOSHIKI:100個目ぐらい
マツコ:工場大忙し
YOSHIKI:こういう世の中なんで炎上すると思うんですけど、ドラムのメーカーが僕に壊してくれってくれるんですよ(笑)
僕が壊すと売れるんですよ。また今日も壊さなきゃいけないですかっていうみたいな(笑)
首の手術は2回目、体を張ってることを実感。ドクターからは完全にストップがかかってる。3回でも4回でも倒れるまでやろう
CDが売れる時代に10年間で28枚しか出してない(小室哲哉は150枚以上)
音楽ビジネスはレコード会社が決めるもの。
僕ら芸術家になろうと決めた時に、100年200年後に聴ける曲を作るじゃない?毎年アルバムとか、かなりハードルが高いと思う。それよりも、10年に1曲素晴らしい曲がかければ、その楽曲が100年後に残れば、それが僕の役目なんですけど
マツコ:それをレコード会社が許してるっていうのもYOSHIKIさんだからよね
YOSHIKI:許されてない(笑)
TOSHIとHIDEの脱退
バンドメンバーっていう以前に幼馴染、友達、家族だったので、父親を失った時ぐらいのインパクトはありました。一生会わないんだなって思ってました(働きかけは)しなかったです。Xというドアを完全に閉めてしまった。会いたくなかったんです。閉めて鍵をつけて鎖でぐるぐる巻いて、この扉は一生開けない、開けたくない。僕も自分で自分自身を洗脳したって言ったら変ですけど、XJAPANは無いんだって決めてしまった
(ラストライブは)ぶん殴ってやろうかって思ってたんです。目の前に現れたら幼馴染のTOSHIだったんで
マツコ:どういうタイミングで再開できたんですか?
TOSHIから聞いた話なんですけど、TOSHI を洗脳していたリーダーの人が、Xを再結成しなさいと。そうすることでもっとお金を貢ぎなさいと10年後僕に連絡をとってくれた。
東京ドームとかで演奏することで感覚が戻ってくるかもしれない、チャンスかも知れないと思って、開けたくない扉から
悲しみ苦しみの海に飛び込んでみたんですよ
この世には存在しないんですけど、自分の中では一緒にやってる。気持ちの中では7人のX
シューイチ 2023.8.20
イーロン・マスクさんとは面識あるんですよ。センスあるなと思って。
(バンド名の由来は)とりあえずよくわかないからXにしとこうって(笑)
紅
ヒデ:暑い炎天下の中練習するって、野球の歌じゃないですよね
YOSHIKI:別に野球の歌でもいいんですけど(笑)