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しくじり先生 森田正光 責任感について サスケ 青いベンチ 解散と再結成の裏側

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森田正光

やりたくない仕事だけどやってる人、多くないですか

50年近く天気の仕事をやってるが
お天気キャスターになる気なんてさらさらなかった
今でこそ天職だと思ってますが
天気なんて好きじゃなかった。

責任感がない仕事ぶりで
自分の居場所を失わないために。
中学3年、高校3年、大学4年。その後の人生の方が長い

名古屋出身。高3で進路相談があったが
特にやりたい仕事も夢もなかった
教師が「気象協会ってところが募集してるよ」
「じゃ、そこでいっか」

最初の仕事は177

今でこそ自動音声だが、当時は吹き込んでいた
「この仕事、つまんねぇ」
ただ受かっただけで始めた仕事だったから。
辞める勇気もなく名古屋東海本部で5年続けた。
来月から東京本部に転勤だからと言い渡される。
(3年間の研修期間)

気象教会ランク付け

N NHK出演
T テレビのお天気コーナー出演
A テレビのお天気コーナーサポート
B ラジオの天気でMCと掛け合う
C ラジオで1分ほどの天気予報
D 177などの天気予報
E 原稿書きなど雑務

異例のスピード出世。働くってちょろい

1分間無音で放送

生放送です。
スポンサーや関係者には多大な迷惑をかけた
ラジオ局には小さなブースがあったんですよ
音楽と音楽の間には1分間の天気予報が入るようになっていたが
スイッチを入れ忘れたんです
放送は常にカフが上がってる状態なので
上がってると思って話し始めたら入ってなかった

「スイッチ入れるなんて教えてもらってないし!」
責任感がないから大事なことを聞き逃すんですね
好きな仕事でなくても責任感を持ってベストを尽くす人か
好きな仕事でないから手を抜く人か

無音で放送 PART2

隣のブースで待ってたんです
すると隣から直通電話があって
隣だったことが分かって、がたがた寒波が来た状態に。
これ、ブースが似てるのが悪いでしょ!

責任感がない人は反省してないから
同じミスを繰り返す

1回目は課長、2回目は部長が謝罪に
「森田君、3度目はないよ」

無音で放送 PART3

3回とも同じ放送局、同じ時間

台風接近でいろんな問い合わせで忙しくなってた。
電話の最中にお天気コーナーの時間が終わっていた
電話の相手は放送局、契約会社などで、対応してるうちにコーナーが終了

某ラジオ局出演禁止
責任感のない人はいつか大きなミスをする。

個人の興味の有り無しは関係ない
仕事としてお金をもらっているなら、
社会人として自覚を持とう

森田一人に任せるのは危険だから
司会と一緒にできる番組をやらせよう

土居まさる登場

変わったお天気キャスターと言われるように

「明日は雨ですか?」と聞かれ「う~んわからないですね」
「今週は大体どんな天気になりそうですか?」
「だいたい曇りじゃないですか」※曇りといえばだいたい当たる
「この後どうですか?」「野球に行きます」

東京に来て4~5年、天気って面白いなと楽しくなってきた。

テレビのお天気コーナーを任される

28歳ですよ?スゴくない?(笑)
テレビの天気予報は分かりづらい。見てる人に不親切。
わざと伝えにくくしてるのではないか?
いろんな取り組みをしました
1983年、今では当たり前となった洗濯指数を考案
イデア・企画をしたのは私です
フリーになる気はないですかと言われ、42歳でフリーに。

ラジオ局で朝8時から12分間コーナーがあった
その日はつい夜中の1時まで飲んでしまった
ビジネスホテルに泊まって目が覚めたら朝の9時半
オンエア8時からです。7時半には入ってなきゃなんない。
血の気が引くってこのことです。
組織に所属してる頃は上司が守ってくれた。

しくじりを繰り返しながら仕事は途切れなかった

気象予報士制度ができる

93年までは気象庁しか認められてなかった

どうしても取らなければならず、44歳で受験。
スラスラ書けたのに結果は不合格。
今振り返っても最大級の落ち込み

自分のことを「森田さんだぞ!」と思ってた
自分の力や自信を過剰に評価していた
一番辛かったのは気を使って誰もその話題に触れてこなかったこと
弁解する場所もない。ひとりになると自然に涙が出てくる
自分のことを応援してくれるために仕事をセーブして
2度目の受験で合格。

これまでのしくじりを経てきづいたこと

興味がない仕事をしているあなたへ

責任感をもって働いてここまでこれた
責任感を持つことで人生は変わる
つまんないとか自分になってないと考えることは
責任感を持ってない証拠
積み重ねによって少しづつ成長し、お金につながる。
小さいことから少しづつやっていくことが
周りの幸せにつながる

いつかしくじった時に思い出して欲しいのは
「明日は明日」ということ

大手町は、なぜ金曜に雨が降るのか

サスケ

気持ちが高ぶって再結成しようとしているバンドへ

自分勝手に舞い上がって再結成などするもんじゃない

青いベンチ~2014年 10th anniversary Ver
232枚しか売れなかった

都内でやる勇気がないから大宮でやってた(笑)
実は大宮じゃなく毛呂山町出身。

ミステリアスなイメージを出すため、ジャケットで顔出ししない
→顔を出す勇気もない

雰囲気だけ出そうとすると
ただただビジュアルのハードルが上がる。

この顔がバレるくらいに 地味な顔を出せば良かった...

音楽番組でも滑るのが怖くて、当たり障りのないことばかり言ってたら
ネットで
「サスケのトーク、ゲロ吐くほどツマんねえ」と書かれる

間違ってもいい、まずは自分が思ってることを発言する勇気を持とう

2009年解散

次回作へのハードルを自分で勝手に上げてしまい
1年半リリースしなかった。

曲が売れないので事務所をクビに

※解散じゃなくて解雇やん

事務所の人は最後まで面倒見てくれて
言いづらいぐらい盛大にパーティーしてくれた

再結成

新曲じゃないと盛り上がらない地獄

この声が枯れるぐらいに君に好きと言えばよかった

君=音楽
音楽に全力で向き合ってなかったんじゃないかと気づいた


好きなものを好きと言って
全力で向き合えるよう

しくじり先生のオファー頂いた時も躊躇した
年老いた両親にlineで伝えたら
「いつも見てるしくじり先生にサスケが出るようになって嬉しい」と
喜んでくれる家族やファンの皆さんに改めて気づいた。
1曲しかヒット曲がなくても、来てくれるファンがありがたい