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SWITCH インタビュー達人達 大友良英×稲葉俊郎 東日本大震災と医療と音楽(抜粋) 

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稲葉俊郎

在宅医療に取り組む

東大病院に勤務する傍ら、在宅医療にも取り組む。

病院ではよそ行きの顔しか見せない。言ってることと違う。薬は飲んでるって言ったけど、実は飲んでないってこともしょっちゅうあるんですよね。この薬だしてるからOKじゃなくて、どんな家の感じで生活してるのか絶対見といたほうがいい。大学の中だけでやってるとなかなか見えない。

医者になろうと思った理由

大友:そもそもなんで医者を目指そうと思ったんですか
稲葉:そもそも論でいくと、子供の時、2歳ぐらいまで遡っちゃう。もともと体がすごく弱くて、ほとんど病院に入院してた。生命力が弱く、いろんな病気にかかる。感染症とか。よくなってもまたかかる。その時の記憶をすごい覚えてるんですよ
大友:2歳ってまだ喋る前
稲葉:僕の中でも終わりだって薄々感じてたんですよ。周りがそういうこと言ってるの聞こえたんで、この子はなんてかわいそうなんだ、死ぬために生まれてきたんじゃないかって看護婦さんが言ってたのが聞こえたんですね。僕はその時子供心にすごく疑問に思った。それまでかわいそうって思ったことが1秒もなかった。僕はかわいそうな人間なのかって悩んだ。でもかわいそうって言えば看護婦さん喜ぶんじゃないか。天井の模様を見ながら、点滴が落ちる音を聞いて僕はかわいそうな人間じゃないって決めたことを覚えてる
大友:自分の意思で?
稲葉:「生きる」ことを僕の中で選択したんです 

1浪後、東大医学部へ

稲葉:高2までレコードショップに行ったり。全然勉強してなかった
大友:そこまでは俺と一緒(笑)
稲葉:芸術家という職業になりたいわけじゃない。職業じゃないんだって高3で気づいた。子供の時に助けられた。すごい感謝してるんですね。恩を無駄にしちゃいけない。
大友:音楽じゃないんだ医者だな、と僕が思ったとしても、無理ですよ(笑)
稲葉:かなり勉強しましたけどね。16時間ぐらい。目が血が出るかと思うぐらい。周りも東大行くと思わないわけですよ。学校とか行ってなかったですからそういう奴が頑張れば東大行けるって、かっこいいじゃないですか。
大友:かっこいいけど普通できないよね
稲葉:医者になるほうが前衛なんじゃないかと。

東日本大震災

大友:福島に入られたわけでしょ。僕も福島なんで
稲葉:僕もすぐボランティアに入った。かなり奥まで入って。もちろんいろんな大変な事がありましたけど、医療の専門家として向こうの病院、スタッフがすごくうなだれてた。元気がなくなってたのが逆に気になって。病院すらない。カルテもない。レントゲンの機械も薬もなんにもないから僕らはできません、何をすればいいでしょうかとうなだれてた。それは違う、何もなくてもできるのが本当のプロだと思った。人の話を聞く、何か手伝うのも大事な医療行為なんですね。3.11で自分の医療、現代医療を見直しさせられた。
大友:正確に言うと3月の2~3週間の間に、今まで考えなかったようなことが頭をよぎった。僕は音楽を作ることしか考えてなかった。ただその世界にいて、やりたいことやってたけど、福島でこれは大変な状況だと。でも何も決断できなくて、音楽で出来ることって何も思いつかなくて。俺らは音楽で何て世界を作っちゃったのかと責任を感じた。あの時点で50過ぎてますから、音楽で世界を作った責任者の一人だと思うと。地震は自然の営みだけど原発事故とか見てると、俺にも責任があると思った。大きな社会に対して責任感じたのは初めてでしたね。いいのか悪いのかわからないけど、祭りが必要だって。じゃなきゃみんな動けないじゃんって思ったかな

大友良英

ジャズ喫茶

大友:中学くらいになるとクラスの男子の半分ぐらいがギター買って僕もフォークギターを。安いやつ。Fが抑えられずに挫折して。中2ぐらいでシンセサイザー作ろうと思ったとき、簡単に音出なかった。きゅ~んって出た時は感動した。俺はメカからで、まず弾くよりも分解して構造を見るんですよ。なるほどと思ってまた戻して改造ばっかりやってるみたいな。高校入ってやっぱりバンドやりたい、女の子にモテたいと。ステージでてキャーって言われたいにつきるかな

稲葉:ノイズにいきなり行くっていうのは

大友:最初はジャズやりたかった。福島にジャズ喫茶が何店かあって高校からそこに出入りするようになるんです。フリージャズやってて、ライブで阿部薫さんて伝説のフリージャズミュージシャンがいて何回か見るんです。阿部薫さんって声かけてくるわけですよ。僕が持ってたギターを「貸して」ってそれが最初に聴いたノイズなんですけど、「こんなふうにやるといいよ」10分間ぐらいやるんですよ。何やってんだこの人うるさいな、と。大学浪人してた時に阿部薫さんが死んじゃうんです。流石にショックで。会話したのって10分ぐらいしかないけど。高校途中から行かなくなっちゃってたわけで、高校には居場所が無い。ジャズ喫茶って僕の居ていい場所かもしれないと思うと、純粋に音楽的な理由だけでこういう世界に入ったんじゃない。今こういう話初めてしましたけど。東京に行って、阿部さんと一緒にやってた高柳昌行さんに弟子入りするんです。3~4年濃密な時を過ごすんですが、喧嘩して飛び出しちゃうんですね。関係修復の機会なく、高柳さんは亡くなってしまう。てめえ死ねぐらいに思ってたけど、死なれちゃうとちょっと。個人的に勝手に宿題もらったような気がして、自分の中に強く残り続ける。死ってすごくインパクト与えますよ。残った人間としては

音楽と美術のあいだ

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