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SWITCH インタビュー 達人達 中村獅童×三原康裕 ミハラヤスヒロ 異端が道を開く(抜粋)

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あらしのよるに

自分にとって永遠のテーマ

三原:俺が思ったのは、これが獅童自身なんだなと
獅童:不思議だよ。俺のこと知ってる人、例えば舞台稽古を勘九郎君が見てくれて。初日の楽屋に来て涙ぐんで「これはもう獅童さん自身ですね」昔から浅草歌舞伎でずーっと一緒にやってきた仲間だから、なるほどなって。この作品は自分にとっての永遠のテーマっていうのがあった。死んだ親父が「自分らしく、お前らしく生きれば必ずお前らしさを認めてくれる仲間ができる。お前のことを信頼してくれる友達ができる」と。30代突っ走ってきた分、やっぱり迷走する部分もあったし、目まぐるしく変わる日々に追いつかないこともあったし。だけどこの作品を歌舞伎にすることで、また一つ自分の生き方というか、こうあるべきというヒントを得られたかなと
三原:隣の隣の隣ぐらいに座ってる人が、ハンカチ持ってうるうる泣き出したとき俺も随分泣きそうになったけど。あのくだりだよ、やっぱり自分を信じ、みたいな。お前が言うと凄い説得力があったんだよ。話の結論だけではなくて、やっぱ獅童自身も思い入れがあったかもしんないし お客さんが拍手する中で、息遣いとか子供の声とかもするじゃん。
獅童:子供の声が嬉しいんだよね~。笑ってくれたりすると。
三原:笑ってんだよね
獅童:うん、ものすごく嬉しい。
三原:笑ってる声がまたね、通るんだよ。
獅童:今日の芝居も休憩入れて3時間なんだけど、長い一生で考えるとほんの一瞬の出来事。そのほんの一瞬に、魂込めて心を込めて演じる。みなさん劇場から一歩出れば、生活に戻るけど(劇場に)一歩入った瞬間、同じ空間で同じ空気を吸って、同じように夢を見て泣いたり笑ったり。これが生の醍醐味、一期一会なんですよね。あの子達が大人になった時「子供ん時お母さんと見に行った歌舞伎、なんか面白かったな、観に行ってみようか」未来を見据えて、歌舞伎という演劇は僕らがいなくなった後も盛り上がって欲しい。
歌舞伎では、要所要所に16ビートなどを入れているとか。

古いものこそ新しい

獅童:ものづくりは人生観が反映される。ストリップ 、大衆演劇、ミュージカル 、宝塚、アングラ、テント...5歳6歳から連れてってもらって、自分が物を作る時に影響があって、CATSの要素であったり、STOMPであったり。知らず知らずそういうものが入ってくる。自分が影響を受けたものは無意識のうちに出るじゃないですか。そういうのすごいある。
三原:あの当時から変わらないものもあるし、今のストーリーの伝え方、形を変えていく中で獅童がやったり他の役者が作って、新しいものが生まれてくる予感。
獅童:スタンダードがあるから新しいものが生まれる。狼の獣らしい動きや、ヤギらしい動きは先人が歌舞伎の古典の中に狐の動きを残してくれたからこそ。そこをアレンジする。リスも元々歌舞伎の中に動きがあるから。雪が降ってきたら大太鼓ドンドンドンとか。先人が残してくださったから。古いものこそ新しいと思う瞬間もある。
三原:もちろん現在進行形であるべき、伝統も。そこに何を伝えたいか、どういう表現でやるか。
獅童:先人も、今こそ古典だけど(当時は)新作だったんだから。
三原:あの当時の人にとっては現実的な話を、人情劇に変えてやってた。タイムスリップでいま来たら「あれ?まだやってんのお前ら??」(笑)
獅童:隈取を最初に考えた人はすごくアナーキーな精神。血管が浮き出す要素を誇張して描いてるわけじゃないですか。
三原:すごいよね。顔でかく見えるもんね。今みんな当たり前に見てるけど観客は一番最初びっくりしたと思う。
獅童:あえてやってやろうとは思わないけど、自分らしさは必ず作品づくりに入る。伝統を守りつつ革新も追求するスタイルは一生変わらない。
   

中村獅童のいざ歌舞伎へ (趣味どきっ!)

中村獅童のいざ歌舞伎へ (趣味どきっ!)

歌舞伎座の怪人

歌舞伎座の怪人

人間の生きざまをデザインしたい

粋な姿とは

獅童:本来エレガントって言葉は西洋文化。その代わり日本には「粋」って言葉があって三原君の靴とか洋服は粋だね。洒落てるよね。
三原:それってある意味心構えだよね。ちょっとしたユーモアだったりさ。馬鹿げてることを本気でやる姿に粋を感じる。
獅童:ベルト持ってきた
三原:なつかしい。嬉しいよね。止まった時間を感じる表現できないかと。真空パックの食べ物みたいに時間が止められてるような。今の時間と過去の時間が切り離されているような
獅童:俺の愛用してる靴も持ってきた
三原:(笑)たのむよ。スタンダードなスニーカーが一気に(色が)変わることで不安定に。「前から見たら普通の人、後ろから見たら宇宙人」て言うと100人の人が「三原がそう言うんだったらそうだ」と。俺は望んでない。それは固定概念のすり替え。100人の人が考えるきっかけを作る。生い立ちも国も違う人たちが見たら違うと思うんだよ。意外と哲学的なんだよ。

靴っていいもの

獅童:靴でスタートしたじゃん?もともと
三原:もともと美術で食っていこうと思ってたんだよね。福岡から多摩美術大学に行った時も、アートで生きていこうと思って。でもひとつずーっと信念というか使命感、ちっちゃい時親に連れられて行った美術館で、絵を触りたくなって手を伸ばした瞬間「ダメです」と怒られるわけじゃん。彫刻とかもそうだけど、綺麗なものを触ろうとした瞬間に。それって自分の中にはトラウマがあって人と芸術には距離があって剥離されているような。人と芸術は調和しないものなんだ、調和する世界を作りたい。人が使うもののイコン、象徴として捉えたんだ。靴を。何百万何億の絵画を描くから芸術家として素晴らしいのか。そうではない。人が使うものに哲学や信念を投影できる生き方をしたいと思って。
獅童:靴って、一緒にその土地その国の土を踏んだもの。「あ、この靴でロンドンに行ったなあ」とかさ。

三原:俺もそうなんだけど、学生で初めて海外に行った時まずびっくりしたのは石畳。すげえ痛かったんだよ革靴で行ったから。足の裏がほんとに痛くて。石畳の文化ってこういうもんだと思い知った。でもその時の靴って今でも持ってんだ。自分で作った靴だけど。すごく忘れられないかな
獅童:革靴って特別なもの。うちの親父なんかご褒美にって銀座ワシントンでローファー買ってもらったの。中1の時に。
三原:靴っていいものなんだよ。毎日履いて外に出るし。ネガティブな気持ちはそこにはない。靴をやってて日本人向きだと思った。もともとすごく制約があるしね、足を入れて走ったり歩いたり。痛かったらもう嫌だし。いい意味で勝手に小さな器を作ってくれる。自由を削ぎ落としてくれて。まるで盆栽の器みたいに見えるの。時間とか経験、自然の摂理を堆積させていくような
MIHARAYASUHIRO | ミハラヤスヒロ MIHARAYASUHIRO | ミハラヤスヒロ

シューズデザイナーはファッションデザイナーより低く見られてるんじゃないか。ファッションデザイナーより凄い靴を作ってやろうと思った。すごい勉強した。