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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

【まとめと感想】 #あさイチ プレミアムトーク 道下美里

道下美里さんとは

13歳で右目の視力を失う。
短大卒業後調理師免許取得。
25歳で左目の視力をほとんど失う。
26歳で「ダイエットのため」マラソンを始める。
最初は200mがやっとだったのに、中距離そうで次々日本記録更新をするまでに
2014年、自己ベスト2時間59分21秒 世界歴代第2位
現在は福岡在住。保険会社勤務。既婚。
夫からはパラリンピックに向け
「叶っても叶わなくても燃え尽きない」という言葉が。
からあげ大好き。レース前は我慢してるんです(笑)

www.parasapo.tokyo

生きる力となった言葉

神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない

目の病気で入院してた時、自動販売機の前でおじちゃんに言われた。

すごく大きな車椅子に乗ってらしたんですよ
骨を固定するためにボルトが必要だったらしくて
そのために大きな車いすに乗ってたらしいんです。
偶然たまたま自動販売機の前で会うだけだったんですけど。
私も視力が回復せず、見えにくくなっていったので。
おじさんも手術を受けても
なかなか元に戻らないような体だったにもかかわらず
運命を受け入れて前に進もうとしている言葉だったので。
おいちゃん自身も
「乗り越えられる。選ばれた人なんだ」と私に言ってくれて。
当時は正直思えなくて。
人のせいにしたりお母さんにあたったりしていたので
いつかそんな風に前向きに考えられるようになればいいなあ
みたいな気持ちで。

全然大変と思ったことはないけどね

25歳の時お母さんに言われた。

家業が本屋さんなので。
目が悪くなっていって手伝いができなくなって
家に閉じこもっていた日々だったんですね。
母がいろんなところに連れ出してくれて。
私がトイレに入ってる時に、友人と会話をしてる中で
その言葉を発してくれた。
私自身目が不自由になって、社会のお荷物なのかなとか
家族のお荷物なのかなって感じていて
母がため息をついたり悲しい表情をしたりすると
私がこんなふうだからって思ってた。
でも母自体はそんなふうに多分思ってなくて、
私が入退院を繰り返したりして母に迷惑をかけて
母自身は苦労してると思うんですけど
母の友達に
「目の不自由な子がいるから大変なんじゃない?」聞かれた時に
そう言ってくれてすごく心に響いて。
そんな風に思ってくれてたんだ。

イノッチ:道下さんが聞いてないところで、言ってたんですよね

※お母さんは言ったことを覚えてないけど

本心ですよ。今でもそうです。当たり前です。
いい先生がいれば東京に行ったり名古屋に行ったり九大に行ったりしました。
目が良くなればと思って。
あたったんでしょうけど、親が悪いんだから。いちいち気にしてられない。

のちに道下さんはプレゼントと共に
「目を悪く生んでくれてありがとう」という言葉を贈った。

遺伝子の病気なのは後でわかったんですけど
父と母はずっと心にあったんですね。

それで離れて行くならそれまでの人

けいちゃんの言葉。
独身最後の京都旅行で大げんかになった。

京都の街は石畳があったり段差があったり
けいちゃんは介護をすることに不慣れで
私自身もどんな手助けをして欲しいか考えられなく
できない自分をさらけ出すことがプライドみたいのがあって
友達も抵抗あるんじゃないかなって
だんだんギクシャクしてきて、夜寝る前にごめんねって。
迷惑ばっかりかけちゃってほんとにごめんねって
いう話をしたりして
でもけいちゃんはそんな風に言われて「えっ」ってなって。
私は「この旅行はもうやめたほうがいいんじゃないか」と思うくらい
空気があまり良くなかったから
「もう帰ろうか」って言ったらけいちゃんが
「美里なんでそんなこと言うと!」急に怒り出した。
見えないことを隠さなくていいし、言えばいいことじゃん、と。

イノッチ:打ち解けることはできたの?
道下:結局旅行会社の手配とか私がやったんですけど。
   神社巡りとかいろんなところを回りたかった。
   けいちゃんは舞妓体験とか
   目が見えなくても楽しめる体験型の企画をしたほうがいいんじゃないかと。
   お互いがお互いを思いやって
   喧嘩でも私のことを思って言ってくれたんだなって。
   実際離れて行く人はいた。連絡が途絶えてしまったり。
   友達が減るのって寂しいじゃないですか。怖かった。
   でもそんな風にけいちゃんが言ってくれた。

※けいちゃんからの手紙

目が悪いことは知っていましたが、目の不自由な人という意識はなかった。
私にとって美里は美里
旅行中本音で話し合えたことは良かったとあの時思ったけど
帰ってきてから長い間、美里を傷つけたと後悔していました。
何をして欲しいの?と聞くことができれば
けんかにはならなかったはず。
だけど私が発した言葉が、美里の大切な言葉になってると知って
恥ずかしいやらおこがましいやら
そんな風に受け止めてくれた美里に感謝します。
リオパラリンピックでは、美里のがんばりが形になるよう
精一杯応援しています。

さいごに

旧姓(中野)の頃から
県内のマラソンでもCMでも見かけてた。39歳とは知らなかった。
実家は本屋さんやってたのね。
「人生の伴走者」ってコピーをどこかで聞いたような

伴走の樋口さんが防府読売マラソン
実際は4分19秒なのに「16秒 半歩上げよう」と伝えたのは
16秒だったら誤差と思うけど
19秒と(実際のタイムを伝えると)言うと落ちたなと思う。
マイナスが大きすぎることを伝えてガクンとくるより、
「ちょっと落ちてるから半歩上げよう」で大丈夫と判断した。

言葉は大事。人の一生を変える。

いっしょに走ろう

いっしょに走ろう

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