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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

徹子の部屋 国谷裕子 知られざる素顔(抜粋) 

テレビ初出演は結婚後。

30年前に結婚。
偶然主人、パートナーがニューヨークで仕事をするようになりまして
そこでNHKの番組制作のお仕事をしておりましたら
ある日テレビに出て欲しいという声が突然かかりまして
私は訓練も受けたことがありませんし
とてもできませんとお断りを入れた。
ちょうど衛星放送が始まりまして、売りは「24時間眠らないテレビ」
ニューヨークから誰か出て欲しい、ということで
「私無理です!そんな仕事はできません!」と申し上げたら
NHKの人が「大丈夫、大丈夫!できるから!」と言われて。
「できる!誰も見てないから!」(笑)
アンテナを持ってる方がまだどなたもいらっしゃらない頃で、私の出演は
日本時間の朝3時と、朝5時。
アンテナを持ってる方も、朝5時に起きてる方も少ないですし、
経験がなくても大丈夫だと言われて。

大学を振り返っても、放送を始めてこんなに勉強したことはないと。
必要に応じて必死だった。生放送だし。
BSの時代を含めて29年、クロ現は23年。
徹子の部屋」は50年を目指してらっしゃると。

挫折、チャンス、クロ現

総合テレビのキャスターに。夜9時台の国際担当。
経験の無さが顔に出てしまうんですね。
うまく伝えられなくて、私を抜擢してくださった期待に答えられない日々が
ずっと続きまして、泣きながら帰ることが続いた。
くやしくて、半年でキャスターのポジションを降りてリポーターになって。
その役割も半年で降りてBSに戻りました。
自分の仕事を真剣に考えるようになったのは、総合テレビで不甲斐ない経験をしたから。
なんとかこの悔しい思いを克服したい、なんとかキャスターとして認められたい。
BSに戻していただけたのは本当に幸運だなと思ったんですね。
それが1989年。天安門事件が起きたあと、東ヨーロッパの国々が民主化し、
ベルリンの壁が崩壊して世界中の歴史が変わるような時代になりまして。
その頃ワールドニュースを担当していましたので、
毎日毎日テレビカメラの前に立ってニュースを担当する経験ができました。
総合テレビで大失敗をし、もう一度頂けたチャンスで
キャスターとして成功したいという強い思いになりまして。

4年間ワールドニュースをやったあと
クローズアップ現代」をやりませんか?とお話をいただけて、嬉しかったですね。
朝10時半から11時の間に打ち合わせ。男性が多かった。
男性と同等に長時間働いたりしたんですけど、今になってみると
クロ現って女性のプロデューサーが少なかったのは
「ああいう働き方って自分にはできないわ」と思った方が多かったんじゃないでしょうか。
ちょっと反省しました。
家族は毎回番組を見てて、厳しいことも言ってくれたのでありがたかった。
ちょっと体力的に厳しいと思ったことはありましたが、続けて良かった。
社会に役に立つ、貢献できることがしたい。

※国谷さんの著書はないかと検索したら、いきなり大川隆法が出て驚いた。

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