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サワコの朝 髙橋大輔 高橋大輔 家出の話/引退から2年(抜粋)

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ニューヨーク留学

阿川:Can you speak English?
髙橋:a little ですね。最初はホームステイ1ヶ月ほど。マンハッタンじゃなくて、ロングアイランドの中にあるガーデンシティーで。ニューヨークまで電車で1時間ぐらいですかね、たぶん。本数が1時間に1本とか。1ヶ月ぐらいすると転校しまして。ルームシェアしてましたね。最初はアメリカ人の方と。すごい楽しかったですね。学校と、あとは普通に遊んで学生生活みたいで。
阿川:恋しくはなかったですか?滑りたいなあ・・
髙橋:それが全然ならなくて(笑)引退するまでの二年間がすごくしんどかった部分もあったのかも
阿川:癒されてない辛さがあったのかも
髙橋:しんどいながらもやってたのかな、と思います

記憶の中で今もきらめく曲

そりすべり。

僕が初めてフィギュアスケートの試合で滑った曲。8つだったと思うんですけど、いきなり「1ヶ月後に試合あるんだけど出ない?」訳も分からず出たんですけど。無級ってクラスがあるんですよ。級を取ってない。

※クリスマス気分でどうぞ。


そりすべり


阿川:8歳で始めて、もう回転しようとしてる
髙橋:そうですね。一回転ぐらいはしてる。今の子達はもっとレベル高い。
阿川:スケートを始めたきっかけは
髙橋:たまたま家の近くにスケートリンクがあって、血は繋がってないんですけど、兄弟のようだった方がすごくスケート好きで影響が大きかったのだと思います。兄が少林寺3人ともやってて、表彰状もらうじゃないですか。その表彰状が欲しいと言ったのがきっかけでなにかさせようかと
阿川:少林寺の映画は嫌いだったんですか
髙橋:嫌いでした(笑)少林寺は格闘技じゃないですけど、闘う感じが怖かったのかも。球技も好きじゃなかった。
阿川:野球とか、学校でみんなやるでしょ?
髙橋:みんな参加するじゃないですか。ほとんど僕参加しなかった。自分のせいで失敗したら、っていうのがすごく怖くて。嫌われるんじゃないかと。おじいちゃん子だったんです。特別可愛がってくれて。
阿川:お兄ちゃん達はやっかんでたんじゃ・・
髙橋:「なんで大輔ばっか」って。僕が悪くても怒られるのはお兄ちゃん。
阿川:それで周りに気を使うようになったのは
髙橋:あるかもしれないですけど。

長光歌子コーチ

家出の話

髙橋:どっちかっていうと生活指導の方。大学の時は下宿してたんですよ。その前も大阪にいるときは泊まらしてもらって。試合前になると2~3週間。食生活は、作ってもらってたので。コーチというより母っぽくもあり。
阿川:結構怒られたんですか?
髙橋:朝はすごく弱いので。かなり起こしてもらってました。トリノに出るという、スケートで初めて目標を持ったんですよ。そのシーズンすごくスランプで。大学入学もしてて生活から逃げ出したいという。反抗期ですね。全て自分のせいなんですけど。
阿川:行きたくなぁい、みたいな時代があったんですか?
髙橋:そうですね。スケートしたくない時があってですね。辞めたかったですね。家出とかもしたりして。
阿川:家出?何やってんだ(笑)
高橋:まぁシニアに上がってからですね。3年ぐらいの時に全然成績でなくてですね。自信もどんどんなくなって、できないって。大学に入って初めて「休み」があるんですよ。それまでは週末学校終わって練習行って、日曜も練習して月曜日また学校終わって練習行って・・だったから。

阿川:それは反抗したくなるねぇ
高橋:大学で自由な時間ができてキャンパスライフ謳歌して
阿川:可愛い女の子もいるしね
高橋:そうなんですよ。友達できなかったんですよ僕1年間。人見知りで。一人でずっとご飯食べて。嫌だったんですよ。で、家出して

モロゾフコーチ

阿川:長光コーチからモロゾフコーチを紹介してもらって、どう違うんですか?
高橋:モロゾフさんは、ステップをバーンと見せる。変わったステップ、派手なステップ。時代の流れを作った人だと思うんですよ。でも僕、自分に自信を持てるタイプではないので。
阿川:とてもそういうお顔には見えませんけどね(笑)
高橋:すごいビビリなんで「(自分への評価が)低い低い、もっと自信を持ちなさい」と言われて。初めてグランプリファイナルに出た時、三番で満足してたら「何を考えてるんだ。ホントは一番になれるんだぞ。三番で満足したらダメだ」
阿川:褒めてもらうと自信がつくタイプ?
高橋:そうですね。褒めてもらうと調子に乗る。ドカーンまで言われると「なんだこの野郎」、中途半端に怒られると自信をなくす。

リハビリ

右膝十字靭帯断裂~オリンピック

阿川:バンクーバーに行く前に。治らないって不安はなかったんですか?
高橋:不安ばっかりでしたね
阿川:リハビリからも逃げたって。
高橋:逃げました。
阿川:病院から逃げたの?
高橋:行かなかったです。リハビリボイコットして。しんどすぎて無理ですって。無理無理、できない!復活できない!って(笑)
阿川:女の子みたい。
高橋:ヒステリックですね。泣きます。喜怒哀楽激しいし内弁慶なので。
阿川:逃げてどうしたの?
高橋:二週間ぐらい・・一週間ぐらいでもどって真面目にやりました。スケートを履きだしてちゃんと飛ぶまで、絶対間に合わないと思った。(オリンピックまで)半年ぐらいじゃないですか。試合の選考もかかってきてるんで、ギリギリでしたね。
阿川:すぐに転んじゃうという、精神的打撃からどう立ち直るんですか?
高橋:この試合は四回転トリノってジャンプなんですけど、試合で一本も入ってないんですよ。当時は四回転飛ぶより、ちゃんとしたプログラムの方がいいって言われた時代だったんですけど、怪我する前は飛べてたんで、入れたほうがいいって。最初こけても大丈夫、あと絶対成功させてやるって。
阿川:最後ガッツポーズしたのは?
高橋:なんかね、ガッツポーズしなきゃって(笑)今までの自分だったら失敗してガッツポーズはしないですね。分かんないけどここはしとかなきゃダメだと思って。俺は出来たんだぞってジャッジにアピールしなきゃっていう(笑)思い出したんですよ「悪くても嫌な顔すんな。だめだったと思われる」会場の雰囲気も好きだったんですよ。お客さんもいいパワーを持ってたのかも。

世界選手権

高橋:ほんとに行きたくなかったですね
阿川:なに?(笑)時間なかったんですよね
高橋:そうです。バンクーバー終わって1ヶ月ぐらいで。上二人が出ないって
阿川:金と銀が出ないって
高橋:僕、絶対金にならないといけないじゃん。バンクーバーのメダルの価値が、金にならないと消える。銅はまぐれかと言われたくなかった。燃え尽き症候群みたいのにもなってたので、ほんとにスケート全然できなくてですね、行って「帰ります」てのもやった。練習場で靴履けない時があった。
阿川:もう大ちゃん・・イヤイヤ大ちゃん・・でも結局いってちゃんと優勝したじゃないですか
高橋:「宝くじは買わないと当たらないんだよ」てのも思い出した。いい緊張感もできた。すごく調子も良かった。

羽生結弦選手に思うこと

彼は能力的にすごいのを持ってたので、勝てないやってのはあった。テクニックがすごい好きなんです。綺麗なんです。表現で会場を巻き込む力をすごい持ってる。
いい演技を見たらやっぱり泣きますよ。人の演技でいい演技見たら感動する

今元気になれる曲

宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」

ami-go45.hatenablog.com