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SWITCH インタビュー達人達 日野原重明×篠田桃紅 ふたりあわせて207歳、長寿の秘訣(抜粋)

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付き合いは70年前から

日野原重明の妻が篠田桃紅に書を習っていたのが縁。よど号ハイジャック事件で人質に。(当時58歳)
篠田桃紅はビートルズ初来日の際、絵画をメンバーに気に入られた。3か月前、脊髄を圧迫骨折し、日野原が名誉院長である病院に入院。

篠田:たまには入院するのもいいと分かった
日野原:人間だということが分かるからいいね

謙虚さがないこと、命、神仏、感謝。

篠田:惰性で筆を持って何かを描いていることがお箸を持ってご飯を食べる以上に身につきすぎて、それが取られると、生きてる気がしない。生きてるというのは筆を持って何かを書く。考えを変えれば、毎日毎日たくさんの紙やキャンパスを無駄にして何やってんだろう?みたいなもんですよね。先生はいいと言ってくださるんだけれどもね、随分思い上がりだと思うの。あたしは。自分はもっといいものが書けるはずだと思ってるの。だから出来たものが気に入らないの。あたし自分を買いかぶってんですよ。一本の線を引きまして、ああこれ上手く出来たと、このくらいがあたしのあれだという、謙虚な気持ちがないんですね。もっといいものができると思ってんですよ。私には謙虚な気持ちがない。
日野原:いやいやいや、そういう風な言い方をされるとみんなもね

篠田:一番青春のいい時に、アメリカなどを相手に馬鹿な戦争をしてた。我々皆、いい青春の時代がなかった。
食べるものもなく爆弾の下で。一番最初に個展をしたのはボストン。1956年です。展覧会済ませてニューヨークへ来たんですが、アメリカという国の大きさをいっぺんで分かった。幅の広さ、奥の深さ。敗戦国日本から来たんですから全てが驚き。アートのおかげでニューヨークからも日本からも呼んでもらえた。普遍性があることがわかりました。若い時からあまり期待をしないほうなの。楽しみということはないけど「義務を果たさなきゃ」ってほどでもない。自然な成り行きに自分が乗ってる。あたくしはね先生、運命、神様みたいなものが何かやってるのか。先生、ハイジャックにお遭いになったでしょ?神とか仏とかそういう意思が地球にはある、試すのかと思った。

日野原:ソウルにいて助かったとき「私の命はこれからは誰かの為に捧げるためにある」と学んだのは非常に大切なこと。人のサービスのために僕はある。生かされていることの感謝。

篠田:謙虚さ、感謝。あたしにはそれはないわ。先生みたいな偉い方が感謝するのはすごいわ。人に何かしてもらったら感謝はしますよ。ただその日生きてること、天地万物の目に見えない何ものかのために感謝することはあまりない。自然物だから。ただあるがまま。特定の何かに感謝はない。

日野原:言葉の表現は違いますが共通するものはある。

篠田:ないですよ共通点なんて。とんでもない。先生とあたしに共通点はない。月とすっぽん。先生は神に近いわね。 

必ず結婚するようにという父の遺言に背く。自由とは「自らに由(よ)る」こと。

篠田:あたしひとりなんですよ、今日やりたくなきゃ何もやんない。よく言えば自由、悪く言えば自堕落、勝手気まま

その日暮らしの篠田桃紅と、2022年までの予定が書き込んである日野原重明。10年日記ってネット始めるまでつけてたっけ。

98歳で始めた俳句

うちの坊主と誕生日同じ。若い頃はワルだったとなにかで読んだことがある。

10月4日 104歳に104句

10月4日 104歳に104句

  • 作者:日野原 重明
  • 発売日: 2015/10/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
十歳のきみへ―九十五歳のわたしから

十歳のきみへ―九十五歳のわたしから

  • 作者:日野原重明
  • 発売日: 2006/04/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

104歳の朝食は10時過ぎ。
牛乳に大豆レシチン、りんごジュースにオリーブオイル。バナナも欠かさない。1日の食事は1500キロカロリー。昼食は1杯の牛乳のみ。腹筋。晩御飯の量が、いわゆる年寄りのそれを超えて完食。

街の人の悩みに答える

明確な目標がない大学生、20代の会社員へ

篠田:この世に魅力がないってことかな。心惹かれるものがない。若い人が惹かれるものがない。それは年取った人が楽しそうでないから。あたしたちをいいと思えてないんですよ。老いたる人がやってることは、若い人のあこがれではない。老いたる人の責任かも。あたしたち老人の力が足りない。ああいうのいいなって思ってないから。
日野原:実際には多いらしいですからね。

40~50代 仕事に復帰したい

なかなか毎日手一杯で考える余裕がない・・子供が巣立ったら主人とふたりで生きていけるかな?

篠田:こういうやり方があるとは簡単に申し上げられない。よく言えば独立心、悪く言えばわがままなんですよあたくし。やりたいようにやってきましたからね。

日野原:子育てが終わった人は社会の中に飛び込んでいかないと。自分で。出会い、英語でencounter.人間の一生を変える。自分でチャンスを求めないと、消極的では解決法がないと思いますよ

60代~同世代が亡くなると感じる死の意識

日野原:いくら努力しても寿命がある。寿命をaccept(受け入れる)こと。生きることを許されているとき、どう生きがいを持って、与えられた命を終えるか。
篠田:30歳の時肺結核になったんですよ。長く生きれるなんて思わなかった。先生の前で申し上げるのもなんですが、医学だけではどうしようもない。
日野原:あたしも大学の時肺結核になったんですよ。
篠田:あの頃は肺病なんて「死にますよ」と言われてるようなもの。死に向き合うことはどんな人でも「いつ死んでも大丈夫」なんていうことではない。
日野原:「もうダメだ」と言ってしまってはダメ。自分でカーテンを開けようとする努力。心のカーテン。許された寿命の間に一生懸命、全力投球。

追記

2017.7.18 日野原重明さん死去。105歳。
2021.3.1 篠田桃紅さん死去。107歳

桃紅一〇五歳 好きなものと生きる

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