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SWITCHインタビュー達人達 若林正恭×羽田圭介 芥川賞をとるコツ/王様のブランチ「Phantom」

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羽田圭介「Phantom」

王様のブランチ 2021.8.7

約7年前に執筆開始、元々のタイトルは「分身」出版が決まって変更。

テーマはお金。生活費を切り詰め、将来のために株式投資をする女性が主人公。

専業作家になって、収入がそこそこ会社員ぐらいの時もあれば280万円ぐらいしかない年もあって、安定しない。もうちょっと増やせないかと思って株式投資始めたんです。1年半ぐらい経った時に書き始めて。

芥川賞とって一気に忙しくなって。自分が忙しくしていると、ちまちま金を増やそうとしてる人がどうでもよくなっちゃう。感情移入できなくなったんですよ。5年間執筆を中断したんですけども、印税とか入ってきて「よし、これで稼いでいけば幸せな人生が送れるかも知れない」アゲアゲな気分なわけですよ。お金がたまってもたいして使わない。高いスピーカー買ってもiPhoneで音楽聴くしな~(笑)
お金に対する幻想を持っている人への違和感から書き始めた小説を、また5年経ったら書けるようになって、書き上げた感じですね。

ひょっとしたら、明日事故で死んじゃうかも知れない。将来幸せになるための可能性を保存していくのは、誰しもあると思うんですけど、それが将来、将来となっていって、結局将来って本当に訪れるか分からないし。時間と切り離して考えることはできない...

SWITCHインタビュー達人達

オードリーができるまでと下積み

羽田:ネタとか映像拝見して「なんかこの人ビジュアルすごい」と
若林:春日の見た目も強いし絵ヂカラもあるし。春日のコンビですよねどうしても。お客さんの野次も、初対面じゃないですか。その日のいちげんさんだから、出てきて15秒で「いじって大丈夫な奴だ」と思わせる何かがあるんでしょうね。舞台に立ってて目線が皆、春日の方に行ってるのが分かる。
羽田:非言語的な部分で決まるのは多いのかも。知り合ったのは何歳ぐらいの時ですか?
若林:中学2年生ぐらいの時、同じクラスで俺の1個前の席が春日。埼玉出身なんですけど「関西弁で色んな奴に突っ込んでるから気持ち悪いな」陰口は言われてたの覚えてる。あんまり人気があるやつじゃなかった(笑)大学4年だったっけな、授業暇で退屈でネタを書いてたんですね。それが溜まってったら「一回ライブ出てみたいな」と思って、高校の時の仲間から面白い奴を誘ってったんです。春日だけがノってきて。人生初めての舞台がウケたんですね。今感じたらそうでもないんだろうけど、人間てなかなか200人ぐらいの(まとまった)笑い声って聞かないじゃないですか。オーディションも1回で通ったもんだから。
羽田:春日さんとまず組んでからネタ作るんじゃなくて、ネタ作ってからっていうのはあんまり聞かないですね。
若林:そうそう。俺がボケだったし。非常に恥ずかしい話なんだけど漫才の仕事しかないんですよ、最初。俺が29ぐらいなんだけど学園祭とか5組ぐらいで行ったら、その辺に芸人が集まってるのが見えるんですね。春日は遅れて出てくるし、普通の漫才じゃないっていう自分に酔ってたのかな。途中で無言のまま3分とか、お客さんは一点見つめてるだけとかが、アバンギャルドなことだと思ってたんだよね。若いから。ほんとに恥ずかしいこと言うと「ロックな人間」だと思ってた(笑)売れようなんて思ってないのよ。自分がやりたい漫才をあと1~2年楽しんでやめようって気持ちだから。反体制の人間だと思ってたね。

悩み

若林:もともと閉鎖的で、一人しか友達いなくて辛かった。テレビ見たら、美味しそうなものとか出てくるじゃない。それが買えないことが、おれ敏感すぎて普通に悔しい。社会的な自分の位置を感じちゃうのね。2009年あたりから、お仕事とお金いただくようになったら1個1個がビックリなの。スターバックス入ったのは31ぐらいの時。
羽田:ええええ(笑)
若林:グランデって・・。食リポ目指して芸人になる人はいないと思うの。俺はね、目指してなかったから。でもやるじゃん。悲惨なアパートにいる頃の自分がよぎるの。8000円のアワビのステーキ美味しいって言っちゃったら「なんだテメエ」と思う人が居ると思っちゃう。今ルーティーンに入ってきちゃってるから、刺激に思えない事を何か変えてみたいと。昔全否定してたゴルフを始めてみたいとか。
羽田:ゴルフっておじさんがやるもんだ。
若林:全否定してたブランド物、1個ぐらい買ってみたいなとかさ。戦略的にそこを目指してないから、脳は刺激に感じてくれなかったりしちゃうんだけど、それでも視点を変えてみないと感じないのかなと
羽田:確かに常につきまとう悩みですよね。僕も出版業界に身を置いてて、いきなりテレビ業界の人と沢山会うようになって、慣習の違いに戸惑うことが多かったんですよ。事前のヒアリングでどんなに細かく話しても、テロップとか、本番始まったら全然違う、簡単なイージーなモノに変えられて。それに対して憤りとか感じてたんですけど、なんでその人たちがそうするかっていうと、そうしないと誰も見ないとか1個1個紐解いていくと納得して、怒りが消えちゃってるんですね。

後半

母校の明大へ

10年前の2005年、学園祭に来たのがオードリー。ブレークした時「あんときもっとサインとかもらえばよかった」と思った。

芥川賞スクラップアンドビルド

羽田:デビュー作「黒冷水」は原稿用紙400枚。ノミネートされるのはなんとなく200枚ぐらいの作品が多いから、なんとなく200枚ぐらいの作品を書かされてきたんですよ。 なんとなく候補になる作品を書くというのが身にしみついてたんですね。月に3~4回足を運んで、介護される祖母の愚痴を30分ぐらい聞いて。夕飯食べて、介護する母の愚痴を聞いてってのを3~4年やってるんですね。続けてるうちに介護は切実な問題だと。小説家になった12年前に、父方の祖母が山形の病院に入院してたんですね。ほかにも長期入院してるご老人がたくさんいて。この作品にあるように「殺してくれ!」と言ってる患者がいたんです。衝撃的だったので、原風景としてありました。
   
若林:取材とかするの?
羽田:しますね。「スクラップアンドビルド」に関しては、介護業界で働いてる知り合いがたくさんいたんで。書く前は聞かないんですよ。父方と母方のエピソード、プラス、身近な題材だから紙の資料はすごい読む。数十冊ぐらい。介護制度や体験談をたくさん読んで、自分の経験とすりあわせて想像力を発揮して書く。最初に当事者に話を聞いてしまうと、ディープな話を口止めされてしまう。想像力で勝手に書くと「自分で考えた話だから」と言える。安易に業界の当事者の話を書くのはあまりしない。

メタモルフォシスは2年ぐらいで完成させたMの話。働くこともMという視点で考えたら無敵。本質的な快楽は、能動的に何かをやり遂げた際にしか味わえない。何かを一生懸命やるのは苦しさがつきまとうが、何かをやり遂げるという快楽を求めている。

スクラップアンドビルド、今の自分には身につまされすぎる。  

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