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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

人生案内 母の死に涙出ず 冷淡か 久田恵さんの回答

母が亡くなった時泣かなかった

冷たい人間かもしれません。
母は気性の激しい人でした。
祖母や伯母と諍いを起こしては勝ち誇ったり泣いたりしてきました。
そんな母から逃れたくて、大学進学で家を出ました。
就職も結婚も地元ではしませんでした。
年2回、孫の顔を見せに帰省するようにしていました。

母が認知症を患ってからは家の近くの施設に住んでもらい、
私と父で面倒を見ました。
哀れみは感じましたが、義務感からでした。

亡くなった時ほっとしました。
涙も出ませんでした。
いとこ達が泣いているのを見て、私は薄情なのではないかと思いました。

遺影に水をあげ、お経を唱える朝のお勤めも義務感から。
人として冷淡ではないかと感じます。

私の今の心についてアドバイスをお願いします。

泣く≠情が深い

ここ最近、テレビやネットに既視感を感じることが多い。
既知かもしれない。

以前こんな記事を見かけた。anond.hatelabo.jp

母も祖母祖父が亡くなったとき涙を見せなかった。
介護疲れからの解放感が強かったのだ。
ワタシも何度か葬儀に出たが、どうしても人間関係の方に目が向いてしまって
泣けなくて困っている。
生前悪口を言っていた者が棺に取りすがって泣いてる姿を見ると、もうだめだ。
葬儀の好きな人はいないだろう。自分は葬儀に集う人間をつい観察してしまう。
遺産相続に躍起になる親戚の態度や、こんな席であんなことを言うのか、とか。
高校生の頃から人を見る癖がやめられない。

配偶者の父親は、結婚前に事故死した。
頼りない母に代わり、葬儀の段取りから残った兄弟の世話までこなしたが
全く泣けなかったという。
この話を知ったのはごく最近のこと。
夫と父は親子関係がうまくいかず、進学もままならなかったので
憎しみの感情ばかり募らせていたためなのだ。

無理に泣く必要はない。
が「なぜこんな時に」と思う瞬間に涙はやってくる。

坊主が試合に負けた時、3年の保護者のほとんどは
これで最後だ(引退)と泣いていたのに
「まだ先がある」と思った瞬間涙が出なかった。
ところが北斗晶の癌告知のブログを読んだら泣けてしまった。
感情の矛先がおかしい。きっとそうだ。
※なおその後週刊誌で、松居一代に経済的不安を相談した記事を読んで泣けなくなった。
10年前、本田美奈子が亡くなった時も
一昨年大瀧詠一が急死した時も泣いたのに
身内のことでは涙が出ない。

介護は義務なのかもしれなくて。
「亡くなってほっとした」は、正直な気持ち。
薄情でも冷淡でもない。

久田恵さんの回答

義務で遺影に手を合わせているようで辛いのですね。
母上の死をまだ本気で受け入れていないのだと思います。
私も「母へのこだわり」から解放されていません。
母が逝って10年も経つのに、いまだに。

「彼女は私にとってどんな存在だったのか」考え続けてしまいます。
親というものは、そこにいるときは意識しないのに
いなくなると無性に理解したくなる存在のようです。

でも考えても母親の謎は深まるばかり。
自分が自分のことはわからないように、分からない。
それほどにも人は、母親を内面化して育っているのだと思います

でもいま自分がここに生きていることの証し。
母親は複雑すぎて、あなたの
「人間としての冷淡さ」を測る物差しにはなれない存在。

いつか、母上を
一生懸命生きようとしたけなげな女性と思えた時
これまでもこだわりを涙と共に卒業できるかと思います。

卒業できる頃にはお迎えが近いだろう。

新・家族がいてもいなくても

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母のいる場所―シルバーヴィラ向山物語 (文春文庫)

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