生きている意味が見いだせない
小学生の頃から頭にある問い
50代女性。「生きていることの意味」がどうしても見いだせません。本を読みあさり、人の話を聞き、人間はこの世だけに生きているのではないと
考えられるようになりましたが、いつも前向きではいられません。今はもう、いつお迎えが来てもいいような気持ちになったりします。悩みがないからかもしれません。ただ生きているだけで尊いと感じるほどの大病や怪我をしたりしたら、と思うと怖くもなります。
幼い頃から親の離婚や失業など二度と味わいたくない経験もしました。それでも家族を思って生きてきた自分が、逆に腹ただしく思えたりします。
その経験が今の平穏な暮らしにつながるとわかってはいますが・・今ある幸せに感謝しながら時々虚しくてたまらなくなる。
生きていく信条のようなものはどうしたら見つけられるものでしょうか。
どこかで聞いたことがあると思ったら
おなじ回答者だった。大学生に答えたものと読み比べて欲しい。
毎日毎日、座右の銘を頭に置いて生活するわけじゃなし。人に聞かれて即答できず慌ててしまうのだが、ほかの人はどうだろう。あれ、なぜ「好きな言葉はなんですか」「座右の銘は?」って聞くの?卒業の寄せ書きで「努力」とか臆面もなくすぐに書ける生徒は、別に心の底からそう思っているわけでもないのでは。
ひとのために、他人や家族によく思われたいと思って過ごしてきた自分。自分自身のために生きてきていないむなしさ。
昭和30年代、厭世(=世の中が嫌になった)で自殺する若い人が多かったそうな。小学生の頃(70年代の終わり)、子供の自殺が一時的に増えたことがあった
それは親から叱られたりなど、家族間の関係によるものが多かった。いじめを苦にしたり、自分と同い年のユッコの後追いでというのは86年。今よく目にするのは学校関係の悩みからの自殺。
この相談者は別段「自分から命を絶って死にたい」と思っているわけじゃなく「いつお迎えが来ても良い」ただ今ここに生きている理由がわからないと言いたいだけ。誰もすぐには答えられない。はてな「今週のお題:私のテーマソング」1曲に絞れないのと同じだ。
鷲田清一さんの回答
あなたが生まれた時、あなたという存在には濃い意味があった。両親は誕生を喜び、あなたの存在にいっぱい夢を託した。
それから半世紀。親との関係、自身の家族との関係にもみくちゃになりながら、自分がここにいる意味が見えなくなってきた...あなたが悩み苦しんでいるその背後には、食材の調達から電車の運転まで、暮らしを下支えしてくれている無名の人がいっぱいいることも多分分かっておられる。
なのに心の中に、どうして生き続けなければいけないのという問いがすきま風のように立っている...よくわかります。でも、生きることの意味は予めあるものではありません。問う中で探し当て、紡いでゆくものです。
あなたも無名のまま人を支える側にたってみませんか?大きなお世話にならないよう気をつけながら。
あ、ほぼおなじ答えになってる。介護の仕事に携わる人ってすごい。親がお世話になって日々目の当たりにする。と同時に、できない後ろめたさも申し訳なさも感じる。人を支えるって、簡単に言うけど難しいよ。
読んで見つけられるほど人生甘くない。うーむ。
関連記事(追記)
2018.4.1にこんな相談が
母の死後、生きる意味を見失う
2020.7.19 樋口恵子さんの回答
ひとりっ子、とのこと。
人生案内でも母を看取ったひとりっ子(といっても90代の母に70代の娘)が「生きる意味を見失う」とあった。
我が家も一人娘ですが、あなたの母上のように死後も慕われる自信はありません。だからあなたは、母子関係という点では百点満点の幸せ者。その深い悲しみは幸せの証拠です。仕事も続けられますように。仕事は人生の中で社会への多様な手がかりを与えてくれます。専門性を活かして、母上と同じお年頃の方の就活相談にも載ってあげて下さい。お仕事としても、ボランティアとしても。
うちの息子もひとりっ子。もし若くしてこの世を去ってしまったら、とは考えたくない。
母でも娘息子であろうとも父でも夫でも、突然逝ってしまう事への喪失感は変わらない。わたしも昨年父を亡くした。悲しみとか生きる意味とかはすまんあまり心にないが、喪失感はいつもある。