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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

【ふりかえり】昔々、あるところに、おじいちゃんとおばあちゃんが住んでいました。

墓参りも地蔵尊巡りも終わった。
気の持ちようかもしれないけど、肩や腰が少しだけ楽になった。

あ、さて。
お盆なので、じいちゃんの思い出を語る。 - Yukibou's Hideout on Hatena
お盆なので、ばあちゃんの思い出も語る。 - Yukibou's Hideout on Hatena
読んでいて、ブコメだけでは足りないほどの記憶が蘇ってきたので
備忘録のつもりで記しとく。
※言及とは言い難いのに貼ってしまってごめんなさい(^^ゞ

おじいちゃんの思い出

明治生まれのおじいちゃんが死んで、20年以上経った。
競馬が好きだった。
うちに来る時は、一度に食べきれないほどのチョコレートや菓子を持ってきた。

ぐる がるるる

うれしくて、虫歯になるまで食べ続けた。
だいたい明治とグリコばかり。
たちまち、段ボール箱いっぱいにおまけが集まった。

明治 ミルクチョコレート 50g×10枚

明治 ミルクチョコレート 50g×10枚

グリコ グリコ 4粒×10箱

グリコ グリコ 4粒×10箱

おじいちゃんは電話が苦手だった。
一人でいるときに電話が鳴ると、受話器を取るなり
「誰だお前はぁぁぁぁ!!」と怒鳴る。

なぜ「もしもし」と言えないのだろう。
なぜ、嫌なら居留守を使わないのだろう。
ソッコー切られるに決まってるじゃん。
おじいちゃん怖い。おかしい。

やがておじいちゃんは徘徊老人になった。
おばあちゃんが探しに行く日々が続き、やがて老人ホームに。
手のかかる老人だった。
中で働く人にすまないなと、いつも思っていた。
入居して1年後に亡くなった。
実はおじいちゃんとおばあちゃんが長年不仲だったという事実を
葬儀の席で知らされた。
おばあちゃんは泣いてなどいなかった。

追記
おじいちゃんは写真を撮られるのが嫌いだった。
なので、遺影にする写真選びは難航した。
探しまくった挙句、何十年も前に撮られた家族写真が1枚だけ見つかった。
だがおじいちゃんはうつむき、手悪さをしていた。
ばあちゃんはその写真の、首から上をちょん切り
紋付袴のテンプレと合成した。
「それしかないんやけ、しょうがないやん。」
まるで大江千里のジャケットのようだった。ゴメンネ爺ちゃん、ゴメンネ千ちゃん。

未成年

未成年

おばあちゃんの思い出

9年前に死んだおばあちゃんは大正9年生まれ。
先ごろ亡くなった阿川弘之氏と同い年。

夏休みにはよく泊まりに行った。
夕方に行くと「遠山の金さん」を見ていた。ami-go45.hatenablog.com
だいたい18時ぐらいになると
土曜日なら「おくさまは18歳」か「アテンションプリーズ」、
日曜日だと「ステージ101」または「サザエさん」が始まる。
※70年代の記憶です。
「ステージ101」土曜日放送から、日曜に移動したのは73年。


おくさまは18歳OP 岡崎友紀 - YouTube

NHKステージ101最終回―涙をこえて - YouTube

でも番組を最後までちゃんと見たことはなかった。
「銭湯が混む」という理由で、途中で家を出なくてはならなかった。

おばあちゃんは花王フェザーでワタシの髪を洗ってくれる。


1972 花王フェザー さわやか律子さん - YouTube

今思えばストレス発散だったのか、手つきが乱暴この上なかった。
「シャンプーはDDTだっ!!」
頭皮にばあちゃんの爪が食い込んでんじゃないかと思うほど。
ワタシの頭は半分叩かれてるような感覚で、泡がついたまま左右に揺れた。
ところがすすぎ終わると頭が軽くなっている。えも言われぬ爽快感、スッキリ感。
おばあちゃんありがとう。

※DDTとは
うちのおばあちゃんは力道山の昔からプロレスファンだが
プロレス技のことではない。
戦争直後にアメリカが持ち込んだ殺虫剤を指す。
DDT - Wikipedia

誕生日には毎年バターケーキを持ってきてくれた。

晩年
五木ひろしのコンサートに行くからと
懐中電灯を持ち出そうとした。
「ばあちゃん、これのことやろ?」

「ああそれよそれ。ありがとう茂子(仮名)。あたしだけ手ぶらで行けないからね」
「ばあちゃん、細川たかしは嫌いなん?」
「あねえなカン高い声、嫌いじゃ」
・・・・

おじいちゃんの通夜が終わって帰ろうとすると
「なんか湿っぽいねえ」とやおらテレビをつけた。
画面は「ごっつええ感じ
おばあちゃんはバカ笑い。不謹慎この上ない。
なにが「故人は賑やかなことが好き」だ。


ゴレンジャイ1『ダウンタウンのごっつええ感じ』 - YouTube

程なくしておばあちゃんは認知症に。
さらに大腸がんも患った。
しかしこの世への執着が深かったのか、危篤状態が1週間も続いた。

葬儀の時には
交友関係の広さを物語るべく
ワタシの知らない老人たちがゾロゾロやってきた。

「(不仲なので)じいさんと同じ墓には入りたくない」と訴えていたが
結局同じ墓に入れてしまった。
ゴメンネばあちゃん。

ami-go45.hatenablog.com

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