家族の中でいちばんなついてくれた愛猫が
生後10ヶ月の雄猫。
去勢手術が終わると発作を起こし、そのまま死んでしまった。
老猫になるまで一緒に過ごすつもりだった。
私が勝手に決めた手術で命を落としてしまい
悔やんでも悔やみきれない。
自分を責め、悔しさに涙を落としてばかりいます。
3年前にも愛猫の死を経験しており
喪失感は時間が解決してくれると頭ではわかっている。
しかし今回は、まだ先の長い猫の命を奪ってしまった後悔の念から抜け出せない。
手術前病院から
「100%はない」とリスクの説明があり承諾したが
まさかの現実に適応できない。
自分も経験がある
何日も前の人生案内。
読むまで忘れていたのだが、思い出してしまった。
実家で飼っていた2匹の猫。
1匹は13年間共にした老猫。
もう1匹は雨の中拾ってきた子猫。
子猫は肺炎を起こし、病院に連れてったら
医者に「100%はない」と言われたっけ。
うまく説明できないけど
ひとが亡くなるのと、少し感覚が違う。
人間よりも早く逝ってしまうという現実を
受け入れるのにどれだけかかっただろう。
ずっと読んでいた愛猫のブログが更新されなくなって
もう1年以上経つ。
そういうことなのかな、違うブログサービスにかわったのかな。
どちらだろう。
野村総一郎先生の回答
浮かんだ言葉はただ一つ「祈り」
確かにこれはぐっと宗教的な答えなんですが
それほど信心深く無い私からも
この答えしか出なかったんです。愛する人の死を受け入れることなど
その死がどんなものであれ不可能。誰が悪いのでもありません。
あえて言えば、あなたのペットをあなたが心から愛した
その事実に原因があるのかもしれない。
しかしいったい誰が非難できるでしょうか。死を受け入れることが不可能だとすれば
立ち直れずに悲しみ続けている事実を受け入れるしかない。
そうです。
この悲しみはもう少し続く。私はこういう場合に「祈り」があるのだと思う。
ただし、謝罪の祈りではない。
冥福を祈り、愛を与えてくれた感謝の祈りであるべき。
それが少しでもあなたを癒してくれることを祈ります。
猫ではないけれど
- 作者: ハンスウィルヘルム,久山太市
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