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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

【Eテレ】【感想・抜粋】ニッポン戦後サブカルチャー史 80年代 YMO 浅田彰

80年代とは、ワタシが12歳の頃から21歳まで。
記憶のないはずがない。
このテーマにたどり着くまでが長かった。
宮沢章夫「僕にとっての活動期は80年代」

THE POLICE

中学の頃、理科の教師が勧めていた。
元素記号がおぼえられないとすぐキレるバレー部の顧問だったが、
「ポリスの”高校教師”が好きなんだワタシはぁ!」
の一言で、2だった理科が4にまで上がった。洋楽万歳。

The Police - Don't Stand So Close To Me - YouTube
訳詞は確かに教師と生徒の関係です。邦題グッジョブ。教師ナイスデスネ。父と同年代とは思えない。

番組中に紹介されたアルバム(抜粋)

アウトランドス・ダムール

アウトランドス・ダムール

Q: Are We Not Men? We Are Devo

Q: Are We Not Men? We Are Devo

Yellow Magic Orchestra

Yellow Magic Orchestra

1980年年間アルバムチャート

1 ソリッドステイトサバイバー YMO
2 起承転結 松山千春
3 グレイテスト・ヒッツVOL.2 アバ
4 夢がたり 久保田早紀
5 おかえりなさい 中島みゆき
6 逆流 長渕剛
7 squall 松田聖子
8 増殖 YMO
9 浪漫 松山千春
10 パブリックプレッシャー YMO

9位以外はカセットに録音してもらったり小遣いでLP購入したりして持ってた。
カセットはTDK、マクセル、後年SONYから「ROCK46、74」が出てそれに録音したり。
120分なんか、びにょびにょに伸びるよな。細い紙テープみたいだよ全部引っ張り出すと。

コンピューターは何を変えた?

細野晴臣:ベースを弾いてて、有機的な、オーガニックなリズムでやってたわけですね。
     70年代ってそういう時代。
     急に、コンピューターで、ベースは数字で打ってくるようになるんです。
     じゃぁ、自分は一体何をすればいいの。
     一度ベーシストとしてのアイデンティが崩壊した。
     (中略)脳で音楽ができるんじゃないかって刺激が、とてもあった。
      クラフトワークのことは「鋼鉄のコンセプト」と呼んでた。バックボーンがあるわけで。
     このへんのことは「団塊スタイル」に詳しい。
団塊スタイル 細野晴臣 岸田繁: .net.amigo
高橋幸宏:コンピューターとセッションするって新鮮に思えて。苦でもなんでもなくて。
     クリックに(電気信号によるメトロノーム)合わせるってことが
     機械とやってるのとあまり変わらないんですけど、生身の人間ですから
     グルーヴ感がまた違った。


YMO - 1000 Knives (Budokan 1980) - YouTube

RYO-Z:基本的に僕らの音楽は、打ち込みから始まってる。
   「楽器覚えよう」からじゃない。レコードから音をちょっと借りて、ループして
   YMOのテクノロジーがなければ、僕らもやれてない。
宮沢:聞く側も変わった。ウォークマンの革命ってあるじゃないですか。
   これを持って外へ出ていく新しさ。
風間:音楽って本来手元に置けないもの。自分のものになる感覚ってあるんですかね。
RYO-Z:それを可能にしたのがカセットテープじゃないですかね。
風間:爆発的に街中でも聞けるようにしたのがウォークマン


ソニー ウォークマンD.D.CM 80年代 - YouTube
マイコン

宮沢:80年代の「暑苦しさ、汗に対する否定感」が「希薄化する身体」。
テクノポップのひとつの定義。

80年代の逆襲 宮沢章夫の戦後日本カルチャー論 細野晴臣 - 別館.net.amigo

YMOのコンセプトは「軽薄」「ビョーキ」

細野晴臣:軽薄さが「キュート」なんだと。
     卑下したいワケじゃなくって、東京のウリなんだと。
高橋幸宏:「東京は病気なんだ」というプロモーションを世界でやっちゃおうと。
     工業用マスクをして「これがないと東京は病気になるんです」って
     ウソばっかりやってましたね。「東京は病気の街」あえてそういうことをやろうと。
     ただの皮肉。日本を外から見たときの。

YMOのビジュアル戦

高橋幸宏インパクトのあるものを思いついた。
     ユニフォームの一つの形を取ろうと。
     みんなこれ「人民服」って言うんですけどスキー服なんですよ↓

Solid State Survivor

Solid State Survivor

     (続き)良い意味で言えば美しい誤解をしてもらいたい。
     クールな日本人たちだっていう。
      
「ソリッドステートサバイバー」には「ビョーキから生き残った者」
 という隠された意味があった。

まとめ

宮沢:YMOはコンセプチュアル。資本主義と戯れた。
   浅田彰(思想家)は「シラケつつ、ノる」と言った。当時26歳。

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

熱くなるのにはとうに流行遅れ、かといって
全てにシラケきったダンディズムを気取るのにも
飽き果てたこの時代にあって、他にどんな方法があるだろうか。(「構造と力」より)

「Firecracker」はMARTIN DENNY「QUIET VILLAGE」(1959)のカバー。

"Quiet Village" by Martin DENNY - YouTube
     
おまけ
1980年ってこんな年
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もう売られてないと思うの。
大平首相、昭和55年6月12日没。
林家三平、ヒチコック、サルトル、、ジョンレノンも1980年没。

「増殖」はダビングして聴いていた。
YMOというと中学の夏休みを思い出す。宿題するには欠かせないBGMだった。
何より読書感想文がはかどった。教師ウケのする作文なんて小学4年で卒業した。
「なんとなくクリスタル」は274個の注釈がつきまくり、
読んでも読んでも厨2病には意味不明だった。
DCブランドは妹が好んで着ていた。
ほぼカラスだったし、彼女は街中で
「神を信じますか?」「除霊させてください」の方々に声をかけられまくって困っていた。
アイビーやハマトラが「蛸壺」と表現されるとは思わなんだよ。

絶滅危惧種 竹の子族


1980年の東京の若者たち - YouTube
「金魂巻」の渡辺和博さんは2007年没。

風間俊介が生まれた頃に「おしん」が流行った。
おしん」は今でも、自分にとってはテレビハラスメントだと思う。

30年前(1983)の15歳が聴いていたアルバムBEST5 - 別館.net.amigo

テレビハラスメントについて。 - 別館.net.amigo

吉本隆明をめぐるコムデギャルソン論争からゲルニカまで
今回はあまりにも広範囲に取り上げすぎたきらいがある。全編再放送希望。

復興ノ唄 ゲルニカ - YouTube

実は自分もコピーライターに憧れた時期があり
通信教育でぼったくられた経験もある。
来週も80年代特集。やったぜ!

※なお、このブログのコンセプトは育児メインではありません。
無痛分娩とか痛みを伴ってこそとか、もういいです。
17年前に体験したのに文章でフラッシュバックしたくないので避けてます。
女子とも対極な感じでやりたいのでドゾ夜露死苦
言及も、よっぽど気が向かない限りやりません。
揉め事で辞めていく人がいることについては、もったいないと思います。

テレビについて「(忙しかったなどの理由で結果的に)見なかった」日なら、ありまぁす。
だからといって、そのことで記事書こうとは思いましぇん。
見ようとは思わないなんて、これぽちも思ったことがありましぇぇん。
このごろ、読みたい記事が ほてんとりに上がって来ない・・
定期的におんなじようなテーマばっかし上がってくる・・

子供の遊び場については、老人が占拠してた公園の近くにビジネスホテルができ
そこに部活の高校生が泊まるようになったら状況が一変した。
高校生が練習に使ったり、子供の遊び場として復活しつつあるんですね。
使用許可制を導入したんですよ。管轄してる市の部署が。
ゲートボールのメンバーは「亡くなる」ことによって縮小されたんですね。
ひとはいつか死ぬ。

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