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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

【Eテレ】【感想】ニッポン戦後サブカルチャー史 70年代 林美雄 内田裕也 大滝詠一  

糸居五郎オールナイトニッポン

1970年11月、三島由紀夫自決。
テレビの世帯普及率は90%を超える中、ラジオ離れが進む。
若いリスナーを狙った深夜のラジオ番組改革。
スポンサーがつかないため、自局のアナウンサーを起用。
※今でもスポンサーつかないよね。ANNの提供読みが短くなってたり
地方局なんかは大幅な改編、テコ入れができない。
土居まさる、「テレビの人」のイメージが強い。「TVジョッキー」「ヒントでピント
セイ!ヤング谷村新司天才・秀才・ばか、
吉田拓郎吉田照美さだまさしあたりは時折聴いていた。
鶴光師匠は小学生の時に聴いてた。とんでもないガキだった。
【ラジオ黄金時代】糸居五郎のオールナイトニッポン 1969年2月11日 - YouTube
セイヤング 土居まさる - YouTube
イザベル〜関西篇 笑福亭鶴光 - YouTube

ソニー FM/AMハンディーポータブルラジオ ICF-P21

ソニー FM/AMハンディーポータブルラジオ ICF-P21

宮沢章夫:小型ラジオで競馬中継聞いてるオヤジとかね。
深夜放送もお部屋に1個とか、ありました。
なぜ我々が深夜放送を聴いたか。深夜という時間はいつ獲得するか。
子供の時って、起きてらんないし、怒られるでしょ。
ところがある時期に深夜を獲得するのね。深夜って時間を。
個人的な自我。自我が目覚めた時なの。
いつかっていうと、中学生問題なの。その年齢だからこそ獲得する時間でもあり。
親からどれだけ離れるか、なの。
中川翔子楳図かずお先生も14歳の終わりだって言ってたし、
    まんがにたとえてごめんなさい、エヴァンゲリオンとかも思春期で揺れて
    大人への拒絶があったり、自分の悪いところで悩んじゃったり。抑えきれない衝動みたいなもの。
宮沢: 中ニ病ってまさにそう。洋楽聴いたり、親から与えられた何かではないものを自分で獲得するのが中2。
    14歳ぐらいである。僕が14歳で初めて買ったのはショッキングブルー「ヴィーナス」
※以降、宮沢さんの私物紹介大会をひとしきり。
 

14歳の国

14歳の国

帰ってきたヨッパライでググったら

おなかよじれた。笑いすぎた。
わたしの不謹慎はこの曲から始まった。
1967年リリースなのに、小さい頃歌ってはよく叱られたらしい。
ばあちゃんの葬式でうっかり口ずさんでしまい、縁側に放り投げられた。
記憶がない。最近父親から聞いた。
亀渕昭信さんの番組で流したら「今のはなんだ」って問い合わせが来て
結局4~5回かけたのだとか。

加藤和彦坂崎幸之助

ボサノババージョン
ウイスキー飲んでそのまま眠ってしまう→翌朝頭痛。

帰って来たヨッパライ - YouTube

パペット登場

飛べ!孫悟空」かと思った。これはひょっとして「テレビ探偵団」エンディングか?

加藤いづみバージョン

深夜に酔いちくれて開き直ったような歌い方。微笑ましくてやってらんない。

帰ってきたヨッパライ(ザ・フォーク・クルセダーズ)by加藤いづみ - YouTube

林美雄を伝説にした時代

林美雄 パックインミュージック 最終回 Vol.4 - YouTube

宮沢:久米宏さんは、もちろんアナウンサーになりたかったというのがあると思うんですけど
林さんとはまたちょっと種類が違うんですね。
林さんの場合はアナウンサーしかない、お手本は何かというとNHKなんですね。
非常にうまいアナウンス。
時代は変わったじゃない。1967年にパックインミュージック
その前に土居まさるさん、亀渕昭信さんがいた。語りかけるようなスタイル。
でも林さんはいきなり深夜放送をやれと言われて、じゃ何が出来るかって、
自分の面白さだけではできなかった。新しいものを発見しようと。
その発見者になること、発掘者になることを目指した。
林さんは(日本語と英語が混在した)「東京レイサン、(03)」
読みがおかしいと指摘しておきながら
ご自身も「東京ゼロサン」と発音していた。

最初に住んでたアパートは、海沿いの4階だったせいか受信環境が良く
地方に住んでいながらパックインミュージックから米軍基地のAFNまでよく聴いた。
低い階、山に近いところと引っ越すうち聞きづらくなっていった。
今はネット、ラジコのおかげで再び聴き放題になったが
そのぶん、けたたましいだけの下手なしゃべりも簡単に聞き取れるようになった。
最近トークが耳障りだと感じたら速攻で
坊主が技術の時間に作った手巻きラジオか、ウォークマンに切り替える。
しょこたんが言うように、昔のコンテンツを延々流す局があってもよさげだが。
彼女のばあちゃんは「泥棒が来ないようにずっとラジオつけときなさい」って言う。
だから「ラジオ深夜便」なのか。

ネットがありがたいのは、昔のものを検索するとすぐに聴けること。
また、Eテレでこんな特集をやってくれるなんて、10代の自分は思ってなかったろう。
クラスにひとりふたりは必ず録音してる男子がいた。
母さん、あの伸びきったTDKのカセット、どこ行っちゃったんでしょうね。
誰か実家に帰って探しておいで。

70年代の音楽シーン

ロックを日本に持ち込んださきがけのひとりは内田裕也
{ロックは英語で歌うもの。日本語は、ノらない」
はっぴいえんどはロックを日本語で歌う。
「自分たちがわかる言葉で歌う」

内田裕也大瀧詠一

内田:日本語でやった時があるんですよ。歌う方としては”のらない”
大瀧:僕らは成功するかしないかじゃなくて、
   ただ やるかやらないか ですよ。
内田:成功しないかもしれないのに、何を目的にやるんだ?
大瀧:成功したいという理由でコピーばっかりやってるのは 逃げ口上じゃないですか。

内田裕也って、都知事選に出て変な歌歌ってるおっさんかと思ったらそんな功績があったのか。
功績なんかな。保守的なんかな。

内田裕也政見放送「完全版」 - YouTube

はっぴいえんど - YouTube

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