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【Eテレ】【メモ】【感想】ニッポン戦後サブカルチャー史 第1回  宮沢章夫 亀渕昭信 石原慎太郎

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サブカルチャーってなんだ?

ヨーロッパにおける上位文化はオペラ
下位文化はサブカル
外側にも文化がある(周縁
美しい声ならマリアカラスだが、価値観を変えればイヌイット喉歌
アフリカ先住民の音楽だって同じ。
サブカルチャーは(文化の)中心と周縁のダイナミズムから生まれる。

サブカルチャーの始まり

1945 FEN
進駐軍は43万287人(1945.12.4付 旧内務省警務課調査)
文化を供給するために始まった。

亀渕昭信

FENのヒットチャートを全てノートに記録
宮沢:日本人にしたら、複雑な刺激が入ってきて
亀渕:そうですね。戦争に敗けた国だよ。
   普通じゃないよね。なんだろね、この、ローの気持ちと
   いらっしゃいウエルカムなおもてなしの気持ちと、みんな一緒に混ざり合って
   戦後の日本人の世代感も含めて複雑だったと思う。
宮沢:その人たちに向けて、日本人のジャズバンドが作られた。
亀渕:そうだね。うちの叔母がね、ジャズ歌手やってたの。
   結構進駐軍の将校クラブで歌ったりとか、僕ついてった記憶があるから。
   ドリス・デイローズマリー・クルーニーが結構流れてて。
   そっちの音楽が好きになったんだよね。
   伯母に感謝なのかよくないのかわかんないけど。
   クラスに洋楽聴いてる子はそんなにいなかったと思うけど、好きになっていったんだね。
宮沢:アメリカは豊かで余裕があったから、サブカルチャー的なものが出てくる余裕があった。
   日本はまだそこまで・・
亀渕:全然ない。真似するだけ、入ってくるだけでね
   それがテレビだったし映画だったし音楽だった。
   「今こういうのが新しくて面白いんだよ」でロカビリーが出てくるのがあったんじゃないか。

ビートニク」とは

周縁を発展させる時に、アメリカでも中心があって
正しいものとか美しいものとは別の声がどっかにある。発見する人たちが出現する。
豊かさっていう土台がないと生まれてこないものなの。
それが「ビートニク」という文化潮流なんです。
詩人:アレン・ギンズバーグ(93年没。ゲイであることにコンプレックスを持っていた)
作家:ジャック・ケルアック(1922-1969)、ウイリアム・バロウズ を中心とする芸術家たち。
基本思想は脱アメリカ、脱思想。

Allen Ginsberg Reading Howl (Part 1) - YouTube
「BEAT」って言葉には、打たれた、殴られて倒れた、打ちひしがれたとか言う意味がある。
ボロボロになったイメージ。
だからこそ発する言葉があると考える。

オン・ザ・ロード

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

執筆期間は3週間。
旅に出てた期間は7年。
「書くのが早すぎて普通のタイプ紙じゃなくロール紙を使ってるって話は本当?」
「ああ、テレックス用の紙だ。」


映画『オン・ザ・ロード』オリジナル予告編 - YouTube
ジャックケルアックは中産階級に生まれ、アメフトやってたり、もともと健康的な人だった。
ビートニク運動に身を投じるようになったのは
友人であるニール・キャサディの影響(「オン・ザ・ロード」のモデルになった)。
「・・政治家とか金持ちといった他人どもが何を望もうが
そんなのとは関わりなしで一生生きる。
誰も邪魔しない、スイスイと自分の道(WAY)を進めるぞ」同感だった。
奴は最も単純明快な形でタオ(TAO)に行き着こうとしていた。
「おい、お前の道(ROAD)はなんだい?(中略)
どんなことをしていようがだれにでもどこへでも行ける道(ROAD)はある。
さあ、どこでどうする?」雨の中でうなずきあっていた。

ROAD=風景としての道
WAY TAO =生き方、方法
      TAOは道教で「道」を指す

※この後サブカルの始まりは(宮沢さんが生まれた)1956年だという結論に。
 ギンズバーグ「HAWL」の発表年と同じだから、というのがその理由。
 同年石原慎太郎太陽の季節」公開

昭和30年といえばうちの父親が19歳の頃で
もろにどっぷりはまっていたらしいが、
天然パーマゆえプレスリーにもなりきれず三平師匠のような髪型で
慎太郎カットをすれば幼い顔つきになってしまう、どうしようもない若い頃だったそうな。

石原慎太郎(嫌いな人はとことん嫌う)

(以下抜粋)
僕が行ってたのは湘南中学。
若いアメリカの兵隊がアイスキャンデーかじりながら闊歩してる
彼に並行して歩くとアイスキャンデーで殴られた。
けがはなかったけど「殴られて大怪我した」って評判になってね。
逆に学校に呼び出されて「なんでアメリカ兵相手に突っ張るんだ」と怒られて。
鬼畜米英と戦ってたのに
アメリカ兵に殴られた僕を叱責する
そういう大人達に対する鬱積した反発みたいなものはありましたよ。
僕なんかの20歳そこそこの人間が一人勝手な主張をすることが禁忌にされてた時代。
なんでも言うことを「ハイハイ」と聞くのが美徳とされた
そんな時代に対する反発。自然に出てきた表現が作品となって出てきたんでしょうな。
彼らにとっても僕たちの表現、情操、情念てものがやっぱりそぐわない。
許容できない違和感があった。
私なんかも佐藤春夫にけちょんけちょんにけなされたけど
石原慎太郎なんて”慎む男”じゃなくて”不慎太郎”だ」
何言ってやがんだって感じがしたね。
三島由紀夫が「君はいつまでも”まれびと”でいろ」って言ってくれた。
最初の長編小説を書いた時も「現代小説は古典たりうるか」っていいことを言った。
若い人に言うなら「ゲテモノでいいんだ、やがて古典になるから」

※80歳前後の有名人や自分の父親を見ていると
総じて毒舌で反抗心反発心の強い男が多い。
亡くなったけど談志師匠もそうですね。子供の頃に敗戦を経験してる。
昭和30年代に10代20代。
アプレなんて話はどんだけ父親から聞いたことか。
ボケてしまう前に太陽族時代の昔話を聞いておかなきゃ
いや、7昔話を鮮明に語る時点で危ないのかもしれず。