別館.net.amigo

人生案内メモ、文字起こし、感想。

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

SWITCHインタビュー達人達 観世清和×内田樹 身体で切り開く未来、英知をつなぐ伝統(抜粋)

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

堺雅人が敬愛してやまない、観世清和世阿弥の末裔。彼が一番話をしたがってるのは、思想家・内田樹武田鉄矢が7~8年前からノートを作り「ただもんじゃない!」と思っているのも、内田樹

武田:内田師範は後半の金八先生に相当なだれ込んでいますね。近頃テレビやラジオでしゃべっていることのほとんどは内田師範のモノマネですね...先生の言葉は、ナイフにも靴にも傘にも合羽にもなる。みんな、内田先生を勉強しようぜ!内田樹さんの言葉は、お買い得です。
薬効あらたかな本

みんなと同じになりたい人間の前に 先生は決して姿を現さない。私がこの世に生まれたのは 私にしかできない仕事 私以外の誰によっても代替できない。替わる事が出来ないような 責務を果たすためではないか。そう思った人の前だけ 先生は姿を現します。

※「今朝の三枚おろし」時折内田樹の生霊が憑依しているとでも?あなおそろしや。

学ぶ力こそは、日本の最大の国力でした。
ほとんどそれだけが、私たちの国を支えてきた。
ですから「学ぶ」力を失った日本人には未来がないと、私は思います。

テレビ出演を拒否してきた

テレビってご存知の通りすごく長くて、膨大な量を撮る割には(放送は)ほんのちょっとでしょ?これ、すっごい不利です。はっきり言って。
9割5分ぐらいの時間て無駄な時間なんですよね。自分の時間を大事にしてる人間としては耐えがたい。捨てるなら撮るなよ、って感じ。今回はしょうがないじゃないですか。家元からですよ。

前半は内田家で。小さいころから道場という場所で「先生!おはようございます」と挨拶をする場面にくらくらするぐらい好きだった。武道は道場と師弟関係。全幅の信頼を置き、自分は空っぽにして一挙手一投足、全部師の言うとおりにやって成長していくプロセスが好き。
空手や少林寺拳法をやり、かれこれ40年、淡々と粛々と稽古をやっている。

武道の最終的な目標は、いるべきときにいるべきところにいてなすべき時になすべき能力を出す。
人間って70億いるけど、全部唯一無二の人間的な使命を持っている。それを一人一人発見していくのが、武道の修業の目的。

レベルを低く下げると、人間関係や会社のトラブルで苦しんだりして、ここに救いを求める人たちが結構いるんですけれども、不思議なもんでお稽古するうちに体が整ってきて、自分のことを傷つける人のところへは寄っていかなくなっちゃって。

体が賢くなると、生き方が上手になって来て生命力が高まるので、ニコニコして家庭生活が平穏になったり。男子は合気道3年やると立ち位置が分かる。自分がすべき仕事がパッとわかる感覚が優れてくる。周りと共生、コラボレーションする能力が高くなってくる。出世が早いですね

観世:浄化されていっちゃうんですね、やなことを忘れてしまう。
内田:どういう動きが最も生物として理にかなっているんだろうって考えながらやってる時に頭の中のことなんてスーッと消えちゃいます。それがいい。内側に内側に集中していく。
普通だったら「この人こういうところに居て、困るね」って人が居たりするんですが、困る人をどうやってみんなで仲間に入れて共生しようかと工夫すると 更に知恵がつくわけですね。
派閥拘束があってもいいよ、その方が難しい人間関係をどうクリアするかで更に賢くなるから(中略)先生が遺伝したんでしょうね。兄が、お前は向いていると。上から継承したものを下に伝えていく。教師というよりは先導者。道案内。弟子全員が私を超えていくことを目標とする。それが師弟関係の理想。

観世:亡くなった父が、弟子に物を教える時は敬語なんですね。わたくしが親父から敬語を教わってきたものですから、子どもに教える時はやっぱり敬語で。どっかで聞いたことあるな、と思ったら、親父が言ってたな、と。

内田:やる気になるまで待つ。本当に火がつくと、寝食を忘れてやるようになる。馬を水飲み場に連れていくことはできるけれど、水は飲ませられない。飲みたくなったら水をじゃぶじゃぶかけてあげる。一番経済的な教育方法。

教師はいかにあるべきかに対しては、正解がない「ある」と思っている人が一番、教育に向いてない「こういう理念があり技術があり、このプログラムでやれば絶対成功する」そういうのが最も教育的でない。教師の数だけ考えることが違ってていい。僕の教師像は他の教師と違っていい。基本は子供たちを信じること。才能に対し死ぬまで晩成過ぎて間に合わなかった人もいるかもしれないが、必ず開花する。僕が声をかけても歩留まりは低い。教師集団は複合的な多細胞生物。「内田はおいしいとこどりしてずるい」と言われる。師匠からもらったもの。計り知れないほどの価値。無償でどんどんどんどん あふれるように贈ってくれた。一方的に受け取ったもの。とりあえずもらったものだから、次世代に「はいっ!」とパスをする。文化の源流は武芸、能楽、鎌倉仏教。武芸は、自然の力を自分の体に一回通すことにより、人間世界に有用なものとして実現する技術。強大な力が、自分の体を通し発動していく。能楽も全く同じ。95年の震災で、あれもなくしたこれもなくした、と思うか。残ったものを数え上げていくのか。手元に残ったものを数えてよかったよかったと喜ぶ切り替えが、今一番大事なのではないか。

後半
徳川家康公から拝領いたしました最古の装束」=1603年、徳川家康天皇より征夷大将軍に任命された折、祝能を舞うためにもらったもの。

他に「足利義政から拝領いたしました装束」等、現役の家宝、お宝が登場。下衆な表現をすると「なんでも鑑定団」的。オーラルヒストリー。
「蜻蛉は守り神なんです。」後見が(こぼれおちる金糸を)もったいないと。