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【訃報】川上哲治について知ってしまったこと。

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川上監督から見た長嶋茂雄

彼が巨人軍に入団してきたとき、私の家の近くに下宿先を見つけてやった。球場への往復はいつも一緒だった。車中で、プロ選手の心構えを折に触れて話したこともあったが、同じ巨人軍の選手というより、球界の一先輩として接してくれた。(略)私が不思議に思うのは、この人格が巨人軍に入団してきたときからあったというのだ。いずれにしても私の監督生活で、こんな「出来た男」を手駒に使えたのは幸せだったと言う以外に言葉はない。

古本探訪・1974.12・さらば栄光の背番号3長島茂雄

74年当時700円より

1ページにわたって長嶋サンへの思いが書かれている。
古本探訪:1974.12 別冊週刊読売 さらば栄光の背番号3 長島茂雄(長嶋茂雄)|あみーご長嶋|note


宝焼酎 純 CM - YouTube

ワタシが生まれた頃(昭和43~4年)V9オーダーをググる
1番レフト高田 背番号8
2番セカンド土井   6
3番ファースト王   1
4番サード長嶋    3
5番センター柴田   12
6番ライト国松    36
7番キャッチャー森  27
8番ピッチャー金田  34  
       堀内  18
9番ショート黒江   5

9番ショート?8番ピッチャー??斬新だ。今ならノムさんのようなタイプ。データ重視なので打てないときは長嶋サンも4番ではない時があった。今朝(31日)ラジオを聴いていたら「川上さんは、野球理論に応用するため、監督時代東大の物理学の講義を受けていた」そうな。

「勝って勝って勝ちまくる」「一野球人の前に一人の人間であれ」「中途半端だと愚痴が出る いい加減だと言い訳が出る 真剣にやれば知恵が出る」
3つ目の格言は武田信玄「一生懸命だと知恵が出る」をアレンジしたのではないか。

巨人軍に葬られた男たち

何度も読み返す本

湯口敏彦。病死なのか自殺なのか。オールドファンなら記憶にあるだろう。

新聞記者との一問一答(抜粋)

自殺ではないか、と思った。
ーノイローゼの原因について
プロ選手として心身が虚弱だったと言うことでしょう。残念だが、スカウトが確かな目を持つことだと思いました。(中略)もし、責任があるとすれば私にある。巨人は正力さんの「強くあれ」の教えのもとにやってきた。そのやり方がいけないと言うのなら、わたしをやめさせればいい。
ー湯口をどう見ていたか
去年納会で、話が通じない、目の焦点が合わない。こりゃいかんと思ったが、今年になって好転しかけていた。再び悪化したのはマスコミの責任もある。
ー巨人にとっても球界にとっても暗い影響を与えるのでは
巨人こそ大損害を被りました。大金を投じ、年月をかけて愛情を注いだ選手。せめてもの救いは、女をのせて交通事故などということにならなかった点です

どんないきさつで死に至ったかは省く。当時のスカウトは「いまさらスカウトを責めるのはおかしい。つぶさに事前調査をやり報告する。湯口君の時も家庭環境、性格などあらゆることを調べつくし、そのうえで 現場の川上君が納得づくで1位指名した。確かに性格は内向的だが、叱咤する時もこの子の性格をよく理解してからやってくれ、と言った」

ドラフトまでの過程は、今も昔も変わらないんじゃないだろうか。

今で言うイップスから重度のうつ病に転じたのか。現代だったらもっと大問題になっていた。色々な解釈ができる一問一答だ。言葉を十分に選んでコメントしているようだが誤解を与えやすい表現が随所にある。責任丸投げととられても仕方ない。

巨人ファンの父親に育てられた。70年代、我が家にはV9カレンダーがデカデカ飾ってあった。捨てずに実家にあると思う。現役時代を全く知らず巨人軍監督の記憶もおぼろなのでやはりこの曲を思い出す。

きたかチョーさん まってたドン - YouTube

最後は明るく。←さんざん書いといて。