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サワコの朝 北斗晶 負けない強さ、輝きたいの。 

体調はすこぶる良くてですね、おかげさまで着々と太っております。闘病中も結構食べてたんですよ。食べられたのが良かったと思います。同じ病気の人にできることって何かなって考えたときただひとつあるとしたら、元気な姿を見せることだけ。反対に私が、同じ病気を治療中、患者会に行った時、もう明るく「見て~!再建(乳房を作ること)したらこんな綺麗なおっぱいができたんだよ」見せてくれる人たくさんいたんですよ。新たに作っちゃえばいいんだよって言ってくださったりとか。それが一番励みになったんですよね。だからこうやって元気な姿を見せることしかできないと思ってますね。

記憶の中で今もきらめく曲

遠藤京子/輝きたいの

1985年女子プロレス入門。前年、TBSで女子プロレスを目指す人たちのドラマがあったんですよ。ちょうどプロレスラーになりたいと思った時にやってたドラマだったので
この曲を聴きながら練習頑張って、私もプロレスラーになりたいなと。くじけそうになった時とか、がんばろうと思って。運命なら掴んでみせましょうって言葉がね、クラッシュギャルズとかすごい人気で。女子プロレスラーになるにはすごい関門だったんです。オーディションも狭き門。(※山田太一脚本、今井美樹主演「輝きたいの」もう1回見たいな)
Kyoko Endo 遠藤響子 「輝きたいの」 - YouTube
www.tbs.co.jp

生い立ち

埼玉の農家の次女なんですよ。女三人きょうだい。残念ながら男がいなかった。とにかくお転婆だった。とにかく泥団子作って、普通だったらおままごとでハイどうぞとやるのが、私は泥団子作って人にぶつけるみたいな。近所の子たちとみんなで遊んでて、泥団子投げられると「その中に石詰めてやろうか」みたいな(笑)倍にして返さなきゃいけないと

ひいおばあちゃんはとにかくおっかない。そのバアさんがとにかくプロレス好きだったんですよ。私は力道山さんがお亡くなりになられたあとだったので、アントニオ猪木さん。馬場さんとか。おばあさんがとにかく「いけ!行け!」やってて
その時間になるとチャンネル変えられちゃうので怖かったですよ。血を流したりとか、おばあちゃんが「後ろ!後ろ!後ろだっ!!ほら!やっちゃえ!」おばあちゃんご飯だよ~って言ったら「今いいとこだからァ!!」怒鳴ったり、プロレスに対するイメージがあまり良くなかった。

きっかけ

おばあさんがお亡くなりになって、姉がビューティペアに。高校で一番仲良くなった子が「プロレス好き?ジャンボ鶴田さんのファンなんだけど」その子と仲良くなったことによって、のちのち高校の休みの日に「近くにプロレスの道場があるから行ってみない?」直接サインとかもらえるからって、連れてってもらったら選手の一人に「彼女何かやってるの?」当時168センチ、60キロ近くあった。ガタイが良かった。「凄い身体してるね、プロレスラーやったら?」その日たまたまテレビでやってたんですよ。新人の人が3人4人ダイジェストで映ってふと思ったんですよ「大したことねぇな」(笑)「あたしの方が強いぞ」やってみようという気持ちに火が付いた。

プロレスをやめなかった理由

オーディションは3500人いたんですよ。そのうちの10人に選ばれた。高校やめたんです。当時女子プロレスは高校行ってると落とすんですよ。オーディションの前に人生一か八か賭けて、やめたんです。おじいさんには反対されて、殴られました。諦めない。
私の行く道はこれだ、と。「輝きたいの」ドラマの時は新人で勝ち抜いたら100万円もらえるストーリー。大変だけど夢をつかむって話だったので「ドラマと違うじゃねぇかよ」(笑)現実は雑用もすごいですし、練習以外の事務所の手伝いもあったし睡眠時間もほとんどなかったですけど、夢のためならどんなことしてでも頑張れる。

青コーナー(悪党)に行きたかったんですけど、お前は目が垂れてるから赤に行け、と言われて赤に行きました。ある程度年代を重ねて自分の意見が言えるようになってから「私はヒールの方に行きたい」会長も私に全然期待してなかったので「メキシコに行け」言われたんです。メキシコの大きい会社と提携して、ビザの関係があるので3ヶ月したら帰ってくる。会長がポロリと一言言ったんですよ「日本で客呼べない奴がメキシコに行くんだから」3ヶ月も開けるんだから、日本に必要な人って行かせられない。
島送りじゃんこれ、と思って行ったらヒールになってて、大悪党大ブーイング。石投げられたりしたけど、嬉しくて、自分の目指してたプロレスができた。楽しくなってきた。そこから徐々にファンの声援が変わった。

結婚

なれそめ

阿川:どこが良かったんですか
北斗:どこも良くなかったです(笑)

暗い感じがしたんですよ。しゃべりかけることもなく
すごいつまんなかったので。
できれば話しかけんなよ、みたいな(笑)

毎日毎日電話かかってくるんですよ
「お疲れ様です。新日本プロレス佐々木健介です」
しーんとするんですよ。そのあとが何も出てこない
「...あの、北斗晶って本名ですか?」
こいつバカなんじゃねぇの?(笑)思いますよね
北斗晶なんて本名なはずないじゃないですか
今度は「おとしおいくつですか?」「27です」
またシーンとするので、なんかしゃべんなきゃいけないなと思って
「佐々木さんはおいくつなんですか?」
「え?あ、いくつに見えますか?」めんどくせえこいつ(笑)
あたしすぐに27って答えたんだからお前も答えろ!!思っちゃうじゃないですか

ボロクソに言ってますけど、電話かかってんのが12時ぐらい
それを待ってる自分がいたんですよ。それに気がつきました。
私の好きなタイプってどういう人なんだろって思った。

強くて、やさしくて、おとなしくて。
それ最後はあたしの言うことをよく聞く人。
これピッタリじゃないかって思いました。この人逃しちゃいけないなって。

乳がん闘病中/退院後

全摘って意味が分かんなくて
「乳首どうなんですか?」「全部です」
泣いてしまったけど、そこで健介が「取ってください」と。

あったまきたんですよ。
なぜかって、抗がん剤で辛い時とかあっても
子供が学校から帰ってくると「腹減った、今日何?」
健介が何か手伝うって言ってもイライラするんですよ
ありがたいことにうちには食洗機がある。
なのに(手洗いして)7、乾燥だけでいいじゃないですか
それをもう1回食洗機に入れて洗う...もうイライラするわけですよ
でもそれが反対に今から思えばよかった

味覚がなくなっちゃったんですよ、副作用で。
目分量でどんどん作っていくじゃないですか。
味がわかんないので「味見して」健介に言うと
「う~ん、多分大丈夫じゃない?」その、たぶんってなんだよ!
いいのか悪いのか言えよ!そこで私の説教が始まる(笑)
ストレスですよ。いつもと変わらず朝からギャーギャー騒いで
それが良かった。もっといたわれよと思ったけど
いたわってるつもりなんでしょうけど、余計なことするんで。
男の子なんで優しいんですよ。(18歳と15歳)
重い物が持てないんですよリンパ取ったので。
一緒に買い物についてきてくれて
「カートは俺が押すから」「いいんだよ押したほうが楽だから」
押したほうが楽なんだ!って言い合いになって。

家の中で帽子かぶんなかったり
犬が私の頭の匂いかいでたり。
笑いにかなうものはないなって

いま心に響く曲

クリストファー・クロス/ニューヨークシティセレナーデ

中学生、今の次男ぐらいの時ですね。いつかニューヨークに行って聞きたいなと。できました。去年の暮れに。長男が海外の大学に行ったので。私はマジソンスクエアガーデンで試合をする夢は叶わなかった。バスケットがあるからって、チケット一人5万円かかるんですよ。でもこの子は海外に巣立つ、私が上がれなかった海外へ。マジソンで並びながら息子に言ったんです「お前ぐらいの時に、ここにいつか上がろうと思ったけど叶わなかった。 会場中に入ったって事は一つ夢が叶ったんだね」...何人か手前でチケットが売り切れて叶わなかったんですよ~(笑)オイ!ママの夢かなわかった!人生ってこんなもんだな、あの会場なんでもいいから入ってやる。

あ~中学生で聞いたわほんと、なつかし。
ニューヨーク・シティ・セレナーデ 1981年 - YouTube

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平成の肝っ玉母さん。出てきた瞬間から涙出てきた。同学年なので、見てきたプロレスラーの歴史も一緒。
そういや80年代のTBSドラマは女子プロレスラーが登場してたよね「毎度おさわがせします」とか。
あの頃学校から帰ると月曜夜7時に女子プロレスた。(フジ系)
金曜8時はワールドプロレスリング。(テレ朝)