野球から陸上へ
アメリカで10キロ激太り
ちょっと太って女と遊んで
大学15チームから誘われ、早稲田を受けるも失敗
「アメリカ留学したほうがいい」と言われ渡米。
ホームシックでハンバーガーやアイスを食べまくり激太り。
開放的なオーラに飲まれ、金髪ガールフレンドとディスコ通い。
ビンビンなっちゃった。英語なんかしゃべれないよ。男と女はアイコンタクトよ。
人生初の大惨敗。タイムが渡米前より22秒落ちる。積み上げた努力も気を抜けば一瞬で堕落する。落ちていくのは一瞬。
あぶない中村監督
女子学生と合コンしてればいい状態の時、中村監督に出会う
自分の顔を本気で叩きまくる「弱い早稲田になったのは自分とOBのせいだ」30発
自分の顔を壁にぶつけまくる
砂を食べまくる
「世界一になれる砂なら食べられるか?俺は食べられる。
瀬古、今日からマラソンをやりなさい」
朝練20キロ走~大学の授業~昼練40キロ走(15~18時)~監督宅で講義(19~21:30)
努力する天才になりなさい
アフリカの選手の身体能力、欧米選手の脚の長さをみなさい
同じ練習をしてても勝てない。
世界一になるための禁止ルール
練習中に水飲むの禁止
練習中の私語禁止
長髪禁止
外食禁止
友達作るの禁止
恋愛禁止
ほとんどつらい....
ロス五輪(1984)
2週間前、大量の血尿が出た
プレッシャーを跳ね除けるのは半端じゃない。
過労で体が悲鳴を上げた。見た瞬間終わったと思った。
本番では14位。
この時は監督が「お見合い相手を募集します」と言ったため
バッシングされなかった。
結婚式の3週間前に監督急死
1985.5.25、趣味の渓流釣りに出かけた魚野川(新潟)で足を滑らせ71歳で転落死。
積み重ねた練習や技術は逆境の時こそ活きる
ソウル五輪(1988)
福岡一本、一発選考にしようと。
中山選手との直接対決だし。
調整も兼ねて駅伝に出た際、左足腓骨を剥離骨折。
ライバルを意識しすぎて普段やらないことをやってしまった。
中山選手に「自分なら怪我をしてでも這ってでも出場する」と言われ
うそつけっ!出れるわけないじゃないか!と思い欠場。
福岡では中山、新宅に次ぐ3人目が決まらず
びわ湖毎日マラソンで優勝し、代表に決まった途端大バッシング。
自宅に今から殴りに行くと脅迫電話
カミソリ入りの手紙が送られてくる
練習中すれ違いざま「バカヤロー」と怒鳴られる
うつ状態に。
結果、中山は4位。瀬古は9位
オリンピックでは2位、4位、9位はなっちゃいけない
感想
よっぽどしゃべりたいことが溜まってたんだなぁ。エロキャラというか。監督が亡くなって月日が経ってたから言えるんだよね。
そうはイカンガー。2年前の波瀾爆笑とかぶってる内容もあったり。うつ状態の時のことを話すのは、思い出すのも辛いだろうに。妻子が支え続けた。2歳の息子が手作りの金メダルをかけてくれたのだそう。心の金メダルとはよく言ったもの
瀬古利彦の金メダルもすごいぜえっ
人生はマラソンだ。残り7キロで勝負がつく。あとの7キロで今までの練習だとか生活が全て出る。どんなことも耐えられる練習をしてきた。みなさんの生活もそうだと思います。瀬古さんでもこういうしくじりがいっぱいあるんです。選手のみなさん、自国開催です。ものすごいプレッシャーがあると思います。残り7キロの調整をしっかりしていただきたいと思います。みなさんがんばってくれ。ぼくのぶんまでがんばってくれ。
- 作者:瀬古 利彦
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